2004年5月1日土曜日

夫婦は一つ



           2004年5月主日礼拝より


                  
                  メッセンジャー:久松政一牧師
                  (クライストチャーチ主任長老)

創世記 2章21節 


 「そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。」
 この所を見ると、神様は男のあばら骨一本を取って、そして23節には、それによって女を造られたと書いてあります。ですから、男のあばら骨から女が出来たということは、男と女は切っても切り離せないものであるということを私達はこの聖書から知ることが出来ます。ですから、元は同じものだったということです。同じものなのです。

 創世記2章24節
「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」

 ですから、まず結婚とは、
第一に“両親から離れる事”です。
第二に結婚とは、“心が結び合う事”です。
第三に結婚とは、“肉体が一つになる事”です。

ということは、これは、一つになるということですね。両親から独立しなさい。両親から離れたら、男と女は心を一つにし、体を一つにして家庭をつくって行く、これはものすごく大事なことです。
ですから、男と女は全然違う様なのですけれども、神様は、元は同じだということを言ってらっしゃるのです。切り離せないわけです。これが聖書の言う夫婦のとらえ方なのです。
 そしてその次を見てみましょう。 

今度は創世記3章6節
「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」

 だから、神様抜きでこの女は、おいしそうな木の実を見て、取って食べたのです。そしてそれを夫にも与えたのです。
すなわち夫と妻は一つであるということです。もしこの女が自分だけ食べて、夫が食べなかったとしても、この罪は同罪なのです。妻をさげすんだり、夫をバカにしたりするということは、夫婦は一つということをあまりわかっていない、違うものの様に受け止めている人のする事です。

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