メッセンジャーは、トリニダード・トバゴ、エリアセンターのジューン・ウッドロフ夫人です。
人々への真の愛と彼らがつまずく時の悲しみ
次に私が語りたいポイントは、人々への真実の愛と彼らがくじける時の悲しみです。この箇所の後半部分は、第2コリントの11:28-29の中に集約されます。パウロは、責任の重荷のすべてについて語っています。こうあります。
「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。」それは、私がウッドロフ先生の中に目にしてきたことです。真の痛み。「愛は不義を喜ばないで真理を喜ぶ」という御言葉があります。私達の内のだれかがつまずきくじける時、皆さんに告げます、そのことは、ウッドロフ先生にとっての個人的悲しみと痛みの源となります。
彼は確かにそれを感じます。彼は人々への真の愛を持っています。彼らが暗闇の中にいるなら、それはほんとに彼を痛めます。彼は自分がすべきことをするのです。その延長として、誰かが処刑されなければならないとして、あなたはあなたが成すべきことをしなくてはなりません。
けれども、ウッドロフ先生はそれを言います、彼が「私はあなたの喉をかき切ります。私が95歳になるまで、私は泣くでしょう。けれども、私はあなたの喉をかき切ります。」と言う時、冗談を言っていると私達は思うかもしれません。でも、知ってますか?彼の心の内の心で、彼は本当に95歳まで泣いています。そのような類いの心をあなたは見ます、なぜなら私達が神様の心をいだく時、だれかがつまずくならそれは神様を痛めるのを私達は悟ります。それは痛めるのです。私達が究極的なことを考えるならば、神様はだれにも地獄には行ってほしくないのです。