今回は、3月31日(日)の主日礼拝でのメッセージの内容です。
今年度の教会方針である、『神の主権の中で生きる』について、久松主任長老が礼拝をとりついで下さいました。
この教会で私が今必要だと思われているものを幾つか話をしたいと思います。まず、「神の主権の中に生きる」創世記2章19節 神はアダムを創られました。そしてあらゆる空の鳥、また、地の動物、這うもの、全てのもの、それには名前が付いていませんでした。神様は人間に対しては、アダムという名前を付けられました。でも、その他のものたちは、被造物は、人間が付けなさいと神様はおっしゃいました。そこでアダムが全て生き物に与える名前は、その名となるのであった。それはアダムが罪を犯す以前のスタイルでした。
今私たちは、このスタイルに生きなければなりません。今までは、神様が向こうから見ておられました。小さなサムエルが、神様に祈っている絵があります。これは罪を犯したスタイルです。けれども反対に、アダムの後ろから神様が見守っておられます。そしてアダムがこうだと名前を付けた時、神様は一切訂正なさらなかったです。それは、神様の心とアダムは一つだったからです。だから訂正する必要がなかった。全て生き物に与える名は、その名となる。これは神の側に立って生きるということです。これは本当に大事な事です。