10月の礼拝メッセージ:久松 政一 牧師
(クライストチャーチ主任長老)
ヨハネによる福音書3章16節
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。」
これは神様からの私達に対する最高のメッセージです。
なんと神様は、素晴らしい御言葉を語って下さったのでしょうか。
本当に主に感謝をしたいと思いますね。私達は今日この御言葉を通して、本当に神様の御愛を知りたいと思います。
まばたきの詩人と言われた水野源三さんのことを、皆さんご存知でしょうか?
彼は、昭和21年(1946年)、
小学校四年生の夏、赤痢のため高熱が続き、脳が冒され、脳性小児麻痺となりました。
その結果、手足が自由に動かなくなり、
ものも言えなくなってしまい、見ることと、聞くこと意外は何も出来なくなってしまいました。
この5年後、キリストを信じ、
聖書通信講座も受けられました。
彼の意思表示は「あいうえお」の五十音図を壁に掛け、お母さんがその字を順次、指差してゆき、
自分の望む字まで来た時、目で合図するという方法でした。
一字一字を拾ってゆくという方法ゆえ、一つの詩を完成するのに
どんなに忍耐と時間がかかったことでしょう。
それでは、彼の詩を通して、イエス様の素晴らしさを、味わってみて下さい。
① 救いの御子の降誕を、一度も高らかに、
それでは、彼の詩を通して、イエス様の素晴らしさを、味わってみて下さい。
+ + +
クリスマスを喜び、賛美歌を歌ったことがない。
一度も声を出して、クリスマスを
祝うあいさつをしたことがない。
一度もカードに、メリークリスマスと書いたことがない。
だけど、だけど、雪と風が
たたく部屋で、心の中で歌い、
自分自身に挨拶をし、
まぶたの裏に書き、救いの御子の誕生を、御神に感謝し、喜び祝う。
② あんなにも主イエスが、あんなにも主イエスが、
あんなにも、私達の罪のために、涙を流して悲しんでおられるのに、
罪を
悲しまなくてもよいだろうか。
罪を悲しまなくても、よいだろうか。
主イエスがあんなにも、主イエスがあんなにも、
私達を
愛するために、血潮を流して苦しんでおられるのに、
悔い改めなくてもよいだろうか。
悔い改めなくてもよいだろうか。
主イエスがあんなにも、主イエスがあんなにも、
私たちを救うために、昨日も今日も、招いておられるのに、
みもとへ行かなくても
よいだろうか。
みもとへ行かなくてもよいだろうか。