2005年7月1日金曜日

自然体でリラックスしていこう


7月の礼拝メッセージ 

メッセンジャー:久松 ひろ子 教師 


自然体、飾りがない、とりつくろった所がない。これがクリスチャンの、基本的な根本精神であるということを、 ぜひ今日覚えていただきたいと思います。自然体であるということはどういうことか?神様の御言葉によると、

ピリピ人への手紙4章4~5節
「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、 みんなの人に示しなさい。主は近い。」


自然体でリラックスしている姿この姿の最も良い現われは、喜んでいるということなのです。心からリラックスしていないと、 喜びは、湧いて来ないということなのです。

ローマ人への手紙14章17節
「神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。」


この喜びというのは聖霊から来る喜び、その喜びは絶える事がない。その喜びが内側から溢れていらっしゃいますか? この本当の喜びが、人々を引き付けるわけですね。その人の側に行ったら、何か知らないけどゆったりできる。 その人の側に行ったら、なぐさめられたり、励まされたり、元気の無い時でも、何か元気になって帰れるような気がする。 私達は聖霊に満たされた人の側で癒されるということを体験します。

 そこで神様という方も、本来人間をこの様に自然体で生きるように創っておられたということを、 もう一度確認したいと思います。
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2005年6月5日日曜日

十 字 架


6月の礼拝メッセージ 

メッセンジャー:久松 政一 牧師 

(クライストチャーチ主任長老)

私達の信仰生活は、十字架で始まって十字架で終わります。けれども私達は絶対に、その十字架を越えることはありません。 十字架がいつも基本であり、そしてその深さを追求することが、信仰生活です。それゆえに私達は、 その素晴らしさを知らないで、新しい領域に入っても、私達の祝福はないということです。 いつも十字架の祝福に我々はあずかりたいと思います。
 
まずヨハネによる福音書の3章14節に十字架の言葉が書かれています。 読んで見ましょう。 

「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。」 

イエス様が、このようにはっきりと御自身が十字架に架かることを、旧約聖書の一つの事件を通して語られました。 イエス様はこの十字架を通して何を語っておられるのか? 

15節「それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。」 
16節「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、 永遠の命を得るためである。 

 これが目的です。十字架は、永遠の命を得させます。
私達はあのアダム以来、 罪を犯して神様から遠く離れた存在になったことを聖書は告げています。「善悪を知る木の実を取って食べてはいけない。 取って食べたらきっと死ぬ。」=神様と断絶するという意味です。神様と交わりが途絶えて、神様と交流が出来ない。 それ故に人は、創られた目的を逸脱して、彼らは罪人という名前の元にこの世界をつくり上げて行ったのであります。 

 その結果皆さんも御存知のように、この世界は今、豊かさと貧困の中で、又、争いと憎しみの中で、 教育がどんなに進んでも、むしろもっと醜い罪が、現われて来るような世界を、私達は現実に見ているわけです。 そして悲しいことに、罪の結果、最後に人は、死を通して終りを告げる。これは神との交わりが断たれた罪人の姿であります。 

 人は一度死ぬことと、死んだ後に全ての者が、神様の前に裁かれなくてはならないことが定まっている。 と聖書は告げているのです。その様な私達を愛して、もう一度私達に、神様との交わりの回復を得させて下さった、 それが永遠の命であります。永遠の命をいただくということは、神様の命をいただくということ。 すなわち霊がもう一度よみがえって、私達は神とのよい交わりをすることが出来る関係になったということです。 十字架それは神との回復です。

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2005年5月1日日曜日

キリストの愛を持って


     5月の礼拝メッセージ  

 メッセンジャー:アーチ・オルダーソン師

(アメリカ・サンアントニオ:デスティニー チャーチ)


戦後の荒廃した日本で、純粋にイエス様だけを伝えて下さいました。オルダーソンご夫妻に、 心より感謝の意を伝えたいと思います。

~~~オルダーソン師による礼拝 メッセージ~~~ 

ガラテヤ書6章1~2節
「兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、 その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。 互いに重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。」
 

 人が神様から離れて行きましたならば、今日、来なくなった人のことを考えて、重荷持ってもらいたいと思います。 重荷を持つことは大事なことなのです。イエス様に仕えることは大事なことです。そしてもう一度、 その正しい素晴らしい道に歩むように願いましょうか。その人がたとえ悪い地であっても、変わるように。 又、その良い土になるように。

そして又、御言葉が、そこに入って成長して行くように、信じましょうか。互いの重荷を負い合う。 それ、律法をまっとうする為ですよ。そして、体の状態、心の痛み、患い。傷を付けられた事もあったかも知れない。 でも、どのような者であっても、教会に来る必要があるのです。神様に愛されている者であるからね。 大分深い罪に落ちても神様に愛されている者です。私達は、キリストの愛を持たなければならないと思いますね。

 
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2005年4月1日金曜日

信仰の言葉


4月の礼拝メッセージ

メッセンジャー:デイビー・カップ師(アメリカ・ロングビーチ:シティ・アット・ザ・クロス主任牧師)


へブル人への手紙11:6
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」

 これは大切です。私達は信仰によって救われました。私達は信仰がなければ、神の前に来た時、神様はぜんぜん喜びません。 全てのものは信仰から出ます。アーメン!信仰は何ですか?ほとんどの人達は、その意味がわからない。 神様は、信仰はこれです!と書いています。 

  へブル人への手紙11:1
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」

 信仰は、まだ見ていないものを、はっきり見るためのものです。私が肉の目で見て、見えないなら、それは無いと思います。 でも信仰は、まだ見ていないものをはっきり見るための信仰です。信仰あったら見えます。
ほとんどの人間は、 五感、それだけで生きています。でも私達が、五感だけで生きていては、その五感からは、多くの嘘の情報を得ます。 世界の全てのものは、見えるものだけじゃない。現実のものは、見えるものだけじゃない。これわからなければ、 神様喜ばない。

信仰は本当に大切です。信仰が内側の、中だけのものだったら、本当の信仰じゃない。 信仰は考えるものだけ、内側のものだけじゃない。私達が信仰の言葉言う時、心の中、ポケットの中だけだったら、 もったいない。多くの信者達は、「私信仰あります!」でもぜんぜん出さない。だから信仰はどうやって出すものか話しましょう。

2005年2月1日火曜日

福音は解放をもたらす




      2月主日礼拝より



    メッセンジャー:久松政一牧師
    (クライストチャーチ主任長老)

奇跡が伝えられたらそこは解放されます。

 あらゆる問題から解放されます。 その素晴らしいことについてお話をしたいと思います。今日はエステル記を中心にお話をしたいと思います。

●エステル記3章1~2節 
「これらの事の後、アハシュエロス王はアガグびとハンメダタの子ハマンを重んじ、これを昇進させて、 自分と共にいるすべての大臣たちの上にその席を定めさせた。王の門の内にいる王の侍臣たちは皆ひざまずいてハマンに敬礼した。 これは王が彼についてこうすることを命じたからである。しかしモルデカイはひざまずかず、また敬礼しなかった。」


 そこでハマンは家に帰ると、「あのモルデカイだけは許さない。」と言っていました。すると悪妻は 「モルデカイを木に掛けて殺してしまえばいいのよ。」と言い、自分の庭に十字架の木を作り、 そしてここにモルデカイをつけて殺そうという計画を立てました。「モルデカイだけ殺すのも腹が立つ、 モルデカイはユダヤ人だ、ユダヤ人を皆殺しにしてしまおう。」こういう恐ろしい計画を持って、王様に進言するのです。 「アハシュエロス王様、あなたに敵対する民がいます。」王はハマンの言う通りユダヤ人を殺せという命令を出しました。

 全州にそれが知れ渡って、ユダヤ人達は、憂いと悲しみと絶望がやって来た。そして、ある日が決められて、 その日にはユダヤ人が全部殺されることになった。王様の命令ですから、誰もこれを取り下げることが出来ない。 モルデカイはそれを聞いた時に、ものすごい憤りといらだちを覚え、自分の娘、エステルに会おうとするも、今は王妃、 近付くことが出来ない。

 けれどもある時に、うまく近付くことが出来て、モルデカイはエステルに言う。
「お前だけが王妃の立場だからと言って、生き延びられるとは限らない。お前もユダヤ人ということがわかったら、 殺されてしまうぞ。いいか、この悪い計画を取り消してもらう様に、王に願え。」
するとエステルは、「わかりました。 どうかそのかわり、私のために断食して3日間祈って下さい。」

 そして彼女は決意して王の前へ行った。「王妃どうした。 何の願いか?」王様が聞いた。すると、
「酒宴をもうけていただきとうございます。そして私だけでなく、 あのハマンも呼んでいただきたい。」そして、エステルとハマンと王の3人で、酒宴が開かれます。そして、 エステルが言います。
「私は憂いで満ちています。私の民が、悪い策略をする者によって、皆殺しにされようとしています。 どうか私の国民を救って下さい。お願いします。」「誰だ!その悪いたくらみをする奴は。」エステルは言います、 「このハマンです。」ハマンはその時絶望しました。

そして今度はハマンが王妃に懇願するのです。
「許して下さい!私を助けて下さい!」そこを王様に見られて、「私の妻にその様なことをするのか!」と言って、 もうカンカン!その時に侍臣の一人が、「王様、良い計画がございます。このハマンが、自分の家に立てた十字架がございます。 あれにこのハマンを掛けたらいかがでしょうか。」と、こうなる訳です。さあこの御言葉、エステル記3章1~2節では、 このハマンがモルデカイを十字架に掛けようとした。イエス様も、十字架に掛けられようとしました。

しかし、十字架に最終的に掛けられたのは誰でしょうか?


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2005年1月2日日曜日

トータル・プランナー

1月主日礼拝より


メッセンジャー:久松政一牧師(クライストチャーチ主任長老)



真のトータル・プランナーとは、天と地をお創りになった神様です。

神は全てを計画なさって、私達が罪を犯した後も、どのように回復して行くか、そしてその時代時代に、 神がどのような事を行われて行くか、どのような人々に命を与えて行くか、そしてその人々の中から、どの人々を救い出すか、 全部ご計画していらっしゃるお方です。
そして最後に、ご自分のご計画を完了なさるお方です。

私達はその神様のご計画という、 壮大なプログラムの中で、今この2005年を迎えているわけであります。
私達にはとうてい思いも及ばない様なご計画でありますが、 その一端を私達が荷わせていただいているという事を思えば、何と幸いなことでしょうか。

神のご計画は非常に緻密で、 明確で、確実なものではありますけれども、人間の理解を超えています。しかし私達にとって、結論が出ているということは、 本当に幸いなことだと思います。先が見えないということ、これ程悲しい事、苦しい事はありません。 しかし神のご計画は聖書に告げられています。そして最後に完了される所の全てを、お書き下さっているので、 安心してその方向に向かって、進ませていただけるという幸いがあります。

人間にとって一番辛い事は、先が見えないことです。 明日がわからない、それ程悲しいことはありません。私達には明確な答えがあります。神のその目的と、最後になさる結果は、 はっきりしています。人間をお創りになった神は、私達罪と呪いの中にある人々をもう一度回復して下さり、 イエス様を信じる人々を、神の国に導いて下さる、そして、新しい天と地を用意して下さって、私達信じる者がそこに住むようにと、 最終的にして下さいます。これが神様の答えです。 

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石油がもうじき無くなる、この世界を思ったら辛くてたまらない、少子化問題、100年後が見えない、 そういう中で私達は生きています。ゴミ問題、どれだけそういうものにお金を使っているか、CO2削減化、 中国は益々先進国になるために、石油をどんどん使います。無くなる時は来るのです。

 神様は、私達のこの地上を回復しようとおっしゃっていない、新しい天と地を、イエス・キリストを信じる者のために用意して下さっている、 そして私達はそこに向かっての旅をしている者だということがわかりますならば、何と私達は心強いでしょうか。 まさに私達の主はトータル・プランナーです。そしてそれを確実に成就して下さるのであります。

本当に暗い事、 悲しい事ばかりが、この一年ありました。災い転じて福となる。来年こそは、で終わってしまう。そして、 悲しい生涯で終わってしまいかねない。しかし私達の神は、正しいご計画を持って下さって、 私達を確実に導いて下さっていることを感謝します。私達はそれを良く理解したいと思うのですね。