2012年2月5日日曜日

正しい行いは正しい心から

 2012年2月5日(日) 主日礼拝より

メッセンジャー:久松政一 牧師(クライストチャーチ主任長老)


 正しい行いは、正しい心から出ます。正しい心は、信仰による心です。 イエスキリストを信じることによって、私たちが行う行いは、正しい心から出ます。 神様が願っておられることは、私たちが正しく生きるということ、それが、 私たちが創られた本当の目的です。それゆえ今のこの日本の状態は偽りです。 皆さんは偽りの世界に住んでいます。


創世記の中でこう書いています。
「時に世は、神の前に乱れて、暴虐が地に満ちていた。」
ですからノアが生きていた時代は、今の時代と全く同じです。あなた方もその中にいながら、 ノアのように生きて欲しいと願っています。 ノアだけが神様の前に正しく生きたと書いています。 私たちは正しく生きるように創られているのです。正しい心から、 正しい行いは生まれてくるのです。私たちがもし悪い心を持っているなら、 正しい行い、良いことをしても、何にも楽しくありません。 神様は正しく生きるように創られていますから、正しい事をすることが、 私たちの楽しみなのです。それが本当の人間です。あなたがそうでないのなら、 あなたは正しい心を持っていないから面白くないのです。世の中が悪いからじゃない、 親が悪いからじゃないですよ。イエスキリストの救いは、全ての人に平等です。 そして卑屈感や、歪んだ心を、イエス様の十字架は、全部取り除いて下さっています。 私たちがもし本当の意味でイエス様を信じているなら、どんなに私たちは幸いな者か、 もう世界中を飛びまわって、「ハレルヤ!」って言うことが、本当だと思いますよ。 罪人であるあなたを、神様の前に絶対許されることのなかったあなたを、 許して下さったのです。永遠の地獄から、あなたを救い出して下さったのです。 そのために自ら呪われて、血まみれになって、十字架に架かって下さったのです。 汚れたあなたのために、自らあなたを愛して、許して下さったのです。 その愛が本当に分かっているのだったら、私たちは正しい心を持って、 正しい行いをすることが、私の喜びとなりましょう。あなたの心の中に、 まだまだそういうものが無い。キリストの愛が分かったら、真心から神様を礼拝するし、 感謝をささげずにはおれなくなるし、そうしたら、そこから神様はまた、 私たちに本当に重要な、大切な神様の御臨在を通して喜びを下さいます。 そして人のために正しく生きることが、その人の楽しみになるのです。 本当に私が皆さんに知っていただきたいことは、いやいやするから不満が起こるのです。 させられていると思っているから腹が立つのです。イエス様が直接あなたの所に来て、 あなたに何かおっしゃったら、あなたはしないでしょうか。 もうそういう時が近くにきているのです。皆さん、本当に覚えたいと思いますね。 ちょっと見てみましょう。


マタイによる福音書6章1節
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、 注意しなさい。もし、そうしないと、 天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」

 神様の義があるということは、自分の義があるのです。プライドです。 自尊心です。私たちはキリストと共に死んだのです。 そしてキリストのように生きるように、定めてもらったのです。滅びないために。 それなのに私たちがもし、なお自分の義を持っていたら、 自分の義はどんなものを生み出すか、自分の義は人の前に見られたいのです。 認めてもらいたいのです。神様だけに認めてもらえたら充分な私たちが、 罪人であるこの世界の人たちに、あなたの友達に、あなたの妻に、あなたの夫に、 あなたの子供に、認めてもらいたいという考え方がある時、 認めてもらいたいがゆえに何か良い事をするのです。それが自分の義です。 イエス様は天の父から、十字架に架かれと言われた。褒めてもらうどころか、 彼の生涯は十字架に向かっての33年間でした。正しい事をすることが、 彼の喜びだったからです。自分の義を持っている人、 自分は正しいといつも思っている人、そういう人はいつも認められたいし、 認めてもらえなかったら、腹が立って相手を攻撃する。 そしていつもそういう人の考えは上がり下がりが激しい。それが人の義です。 それは肉によって構成されているからです。 自分が高められたいという考え方を持っている人は、 人のために良い行いをしたいとは思わない人です。キリスト者は、 人のために良いことをすることが喜びなのです。


 神様の義は、福音の中に啓示されていると書かれています。福音は信仰による義です。 福音とは、イエスを信じることによって、正しいとされる者でしょ。 私たちが正しいとされる唯一の道は、あなたが良い行いをしたからではなく、 あなたが過去に素晴らしい事をしたから救ったのではなくて、 イエス様があなたの身代わりとなって、 十字架に架かって下さったことを信じることによる義です。信仰による義、 これが福音です。ですから神様の義というのは、信仰による義です。 信仰を一言で言ったら、あなたの考えとは違うことをするということです。 あなたがいやだということが、実はするべきことです。十字架に架かることが、 どうしてイエス様は喜びだったのでしょうか?信仰による歩みだったからです。 イエス様はいつも信仰によって、私たちの模範となって下さったのです。 信仰によって十字架の道を歩まれて行く時、イエス様は絶えず喜びの道を歩かれたのです。 私たち人間が罪を犯す前は、正しいことを行うことが喜びだったのです。 この世界は偽善なのです。あなたはそれに染まってはいけない。 救われているということは、もう律法ではないのです。 私たちがイエスを信じていないならば、なお律法の中にいるのです、この世界の人は。 させられている、しないといけない、だからこの世界は、いつも不平と不満です。 でも私たちは、イエスキリストを信じて義とされたのです。私たちの歩みはいつも、 信仰による行いなのです。信仰による行いは、正しい心から出るということです。 心というのは、信仰によって表されるのです。これは本当に大事なことを語っています。


マタイによる福音書6章33節
「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」

 これらの物というのは、衣食住です。私たちの生活です。生活よりも、 私たちが一番大切にしなければならないのは、神の国と神の義を求めることです。 神の国というのは、イエスが支配している国です。この世の国ではありません。 それは神の義で満ちています。イエス様が支配しておられる国とは、 あなたの心です。あなたの心が神の国です。義という言葉を調べたら、 これはdikaiosuneという名詞が出てきました。ここで使われているギリシャ語は、 まさに義という言葉が使われていますし、正しいという言葉が使われています。 また、正義という言葉も用いられています。 ですから神様の支配しておられるあなたの心は、神様の正しさで満ちているのです。 それを求めなさい。この世のお金や、自分のプライドや、生活や、 そういうものに中心を置く時、心は虚しくなります。それがソロモンの世界です。 ソロモンは全ての物を持った。数が増せば増す程、彼の心は虚しくなっていった。 ソロモンは全ての物を得た時、「空の空、一切は空だ。」言い換えれば、 「一切は虚しい、神様を信じないのなら。」と、付け加えました。 物品、自分のプライド、そして自分の全てのやりたいことを全部やったら、 虚しくなるのです。けれどもソロモンの父はダビデでした。彼はいつも喜びました。 彼の中心は、いつも主だったからです。「私は常に主を褒めまつる、 その賛美は私の口に絶えない。」バカにされる職業をしていても、 彼はいつも喜んでいた。ところが彼はこの世の中でいえば成功した。 王になった。最高の権力と位を手に入れた。人間は何も偉くないのに、 立場が与えられたら、ふんぞりかえるのです。この世界は皆そうです。 ダビデは王になった。何でもできた。でもいつも彼は主の御前に生きたのです。 人は見なかった。自分の立場が王になった時にでも、 「これをして下さったのは、主よ、あなたです。」と言いました。 ダビデは王となっても、主の御前に生きたのです。人を見なかった。 何と素晴らしい生き方でしょう。あなたの心を正しく、義で満ちている、 その様な者になることを神様は願っておられます。 信仰によってです。


 ウッドロフ先生が言っておられることは、ノアのように、ヨブのように、 この腐った時代のただ中にあって、あなたは正しく生きよ。 そうするなら清い花嫁として、私たちが準備できるから、 イエス様の御前に正しく立てるから、イエス様はこの世界を終わらせるために来られます。 自分の義を立てる人生だから、空しいのです。 本気でキリスト者は正しい生き方、正しい行いをすることによって、 どんなに喜びに溢れるかを、経験する教会となりましょう。 世の中は、正しいことをしたらバカを見る。それは神様の国にいない人の言葉ですよ。 正しい事をしたら、バカを見ない生き方を、私たちが見せるべきでしょう。 パウロは悪霊に憑かれた女の子を癒してあげたのに、報いとして牢獄に入れられた。 でも彼は真夜中に神を賛美した。正しい事をして、正しい生き方をする。 心は左右されなかった。パウロは本当にひどい目に何度も会いましたけれども、 彼の心は影響を受けるどころか、もっと喜びに満ちて、キリストの福音のために生きた。 これが本当の生き方なのですよ。だから私たちはそうしましょう。 私たちは正しい者として、正しい行い、神の義を現す者となりませんか。 あなたの価値感を変えませんか。私が中心であったら、いつも不幸ですよ。 私たちは死ななければならない。キリストが私の内に生きておられるのです。 キリストは私を喜びで満たせるのです。キリストは、正しい生き方をすることを、 私に喜びとさせて下さるのです。 「私は良いことをすることが楽しみなのです。」 というように、皆さん変わっていきましょう。
実行していきましょう。 


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