2012年4月8日日曜日

預言的プラグインセッション2-2

2012年4月8日(日)礼拝メッセージより

メッセンジャー:木村由智 牧師(クライストチャーチ)


 預言的プラグイン(テキスト9p~10p)今日は優性の霊という所から見て行きましょう。

私たちが十字架の恵みを受け入れた時に、 私たちの中に相反するものが沸き起こって来たり、相反するものを人々から投げかけられた時に、また、 色々な状況を見て、あなたの心がなえそうになる時に、私たちの中に、それらのものを服従させなければならない。 それらのものを、私たちは本当に完全に押さえ込む事が出来る。それが優性の霊です。毎日の生活の中で、 あるいは今起こっている私たちの世界の目に見える状況の中で、こんなことが自分の身近に起こって欲しくないと思う様な、 その様な出来事を感じたとしても、私たちの霊は、そういったものに何ら影響を受ける事がないということです。 そして私たちの感情的な激情を抑制させる。それが優性の霊です。そしてこの優性の霊は、 このテキストにも書いてありますけれども、神様の声は、私たちの内に優性の霊を生産します。生み出してくれる訳です。 兄弟姉妹、私たちは、神様の声がいかに大切なものであるかということです。 


そして内面の強さと、神の目的を完成へと動かす能力が優性の霊だという風に言われました。 私たちの内側が、本当に強くならなければならないのです。それは神様の霊によって、 強められて行かなければならないということです。多くの人たちは、様々な学びや、また、経験というものを通して、 自分が強くなるということを選んで行くと思います。それがこの世の中の考え方だと思います。しかし私たちの強さは、 その内側が本当に強められて行く。あなたがイエスキリストの十字架を信じたなら、 それは最後まで変わることのない事実として、あなたはそれを受け止めて行かなければならない。 そしてその恵みにあなたは、どんな事がこれから起ころうとも、感謝し続けて行くという信仰を私たちが持ち続けるならば、 それは内面の強さとなって、それは外側に、テクノロジーとして現れて行く訳です。 そのことをなすのが、この優性の霊であるということです。そして神様の目的を完成へと動かして行く能力である。 ですから私たちは皆さんが、それぞれの立場の中で、神様からの働きをゆだねられていると思います。 それを完成させて行く能力、そのためにこの優性の霊が必要だということです。これによって私たちは、 神様の素晴らしさを明らかにして行くことが出来るのですね。


しかし皆さんの中で、「いや、私の人生の中に、そういったことは現れない。」という風にもし思っていらっしゃるならば、 私たちの歩みの中に、そういう風に神様から語られているけれども、正しくそれを受け取っていないのかも知れません。 また、神様が語っていらっしゃらないのに、自分でこのように思うということで、行動してしまっているかも知れません。 また、神様の語りかけに充分に自分が応じなかった。言っていることはそうなんだけれども、 今の自分はこういう問題があるからだめだ。と、思うならば、いくら神様の素晴らしい賜物が来たとしても、 それを受け取らなかったら、私たちのものにならないですね。神様に対する、純粋な心、 それが私たちを本当に神様の目的へと動かして行くのだと思います。 だから私たちは神様からいただいているということを信じて、現状の自分がたとえそうであったとしても、 あなたの霊はそれを認めてはならないのです。

 私たちに神様からの語りかけがあるなら、この神様の国は、見える形で前進し、流れて行くのです。私たちを通して、 それはあなたの家庭の中で、あなたの職場で、あなたの住んでいる地域で、そしてこの共同体で集まった時に、 ここにその素晴らしい神様の働きが現れるということです。ですからいつもそのことを覚えましょう。 神様は私たちに優性の霊を与えて、神様の御国を完成へと動かそうとしておられる。そのために選ばれている。 そのために注がれた。これは本当にありがたいことですね。 


 優性の霊でないものというのは、ここに3つ程出ていますけれども、横暴ではない、 (傲慢、圧制的)これは私たちが以前学んだ所で、旧約聖書で宮の神殿を建て上げて行く時に、 石と石はそれに合うものによって、組み立てられて行った。という風に教えられましたね。 それは関係を立て上げて行くために、必要なことだとウッドロフ先生は語られました。 優性の霊でないというのは、本当に傲慢であり、圧制的なものであり、圧力をかけてしまうものである。 そのようにしなければ自分を保つことが出来ない、弱い人であるということです。 しかし優性の霊が来た時に、そういう人間的な弱さや、この世の価値観や、基準によって推し量ることが出来ない様な領域に、 私たちは進んでいるということなのです。本当にそれは大切なことです。
 若い時は特に、自意識過剰が本当にあると思います。だけどこの霊が私たちの中にある時に、 本当に私たちは比較もすることはない。見劣りしていることにも腹が立たない。自分の能力の無いことにも腹が立たない。 その様な霊を神様からいただくのです。だから私たちはこの優性の霊でないもの、横暴ではない。 人の力や個性の強さを基準としない。他の人が譲る先輩の地位ではない。謙遜に見えて、 その立ち振る舞いだけが謙遜な人、沢山います。あたかも自分が本当に立派かのように、振舞う人が沢山いますけれども、 そういったものではないということですね。ですから皆さん、この3つのものをよく覚えましょう。 誰かより私は優れているというものではないのですね。それは比較なのです。それは優性の霊ではないです。 自分が勝っているというものではないのです。私の霊は、全ての物の下にはないということです。 なぜなら神様は最高の御方だからです。その御方が分け与えられたものは、最高のものなのです。 それを私はいただいているということです。だから人間的に見て、私より高い位置にいる人がいても、私は気になりません。 その人と比べる必要は私にはありません。その人から何を言われても、私は全然気にしません。 全然私は大丈夫なのです。なぜなら私の中には優性の霊があるからです。これは皆さん本当に大事なことだと思いますね。 この霊を私たちが持つ時に、この歪んだ社会、歪んだ関係の中で、正しく立つことが出来る。 これを私たちは本当に神様からいただいているということを、求めて行かなければならない。

 
 エレミヤの生涯から、それを見て行きましょう。エレミヤは若くして、神様に召されました。そして彼は言いました。 「私はまだ若いです。」そうしたら神様が言いました。「若いって言うな。」これは若い人たちにだけ言っているのではない。 私は若いから出来ないじゃなくて、「それは私がしますから、あなたは私の言う通り働きなさい。」 というのが神様の願いなのです。エレミヤは召された時、神様にそう言われました。そして彼は少しずつ、 すさんでいるイスラエルの国の王に向かって、その王の子供たちに向かって、預言をし始めました。 それを聞いた王たちは、非常に憤りました。そしてあまりにも腹が立つから、彼は地下牢に入れられました。 その地下牢はどんな所かというと、皆さん知っていますか?それは排泄物が溜まっている下水でした。 腰の高さぐらいまであったそうです。そこで彼は生活した。立って寝たらしいです。上からバケツが下りて来て、 水が日に2回配られたそうです。そして彼の書記係りに、巻物を持って来てくれと言って、 それを下ろして、その状況の中で、神様から聞いた言葉を書き留めたのです。もし優性の霊が、 私たちの環境を保証するものであったなら、エレミヤに神様が、排泄物の下水がいいか、4畳半だけど、 色々そろった、ものすごく綺麗な部屋がいいか、聞かれたら、じゃあ綺麗な方でと、間違いなく言うに違いない。 だけどそれが与えられなくても、その様な環境の中にいても、神様の声を聞いて、それをしたというのですね。 そういう環境に置かれることは、ほぼ無いかも知れません。しかし私たちが、それ故に大丈夫だと思っているならば、 大きな間違いです。あなたの人生に、何も無かったら、あなたは神様の声を聞けない。 何かあるから、必死になって神様を求めるのでしょ。あなたの個人的な生活の、その瞬間瞬間の要求の中で、 正しい選択をし、そしてそこで神様の御声を聞き、やって行くということが、 神様が私たちに、今求めておられることなのです。 


 優性の霊というのは、自分の意思や好みを強要しないのです。 エレミヤの生涯から、それが本当に見て取れます。 ですから私たちは、これが外側の問題ではないということが良く分かります。世は情報によって、 知っている者だけが上に立とうとし、偉くなろうとする。それも優性ではないです。私たちの中に与えられている神様の霊は、 どんなものよりも、最高の所にあるということです。それ故に私は神様に信頼する、人にこびを売らないでいい。 人の機嫌を取らなくてもいい。今までの様な生き方はしなくていい。それが私たちの中にある優性の霊です。 本当に神様は、個人的な弱さの中から、私たちに出て来なさいという風に求めておられます。 あなたの個人的な弱さは何ですか?その中から神様は、あなたを出そうとしておられるのです。 そしてそこから出して、あなたに優性の霊を与えて、あなたが今後その様な誤った価値観に陥らないように、 これが神様の考え方です。エレミヤが、私はまだ若い、まだ未熟だ、まだ子供です。その所から神様は、 彼を出しました。そしてそこからスタートさせました。それは私たちも同じだと思います。私たちもその様な中から、 出なければならない。あなたは神様の子だと、口では言うけども、その振る舞いや、考え方、行動や、 それらは本当に、そのように変化して行っていますか。救われたけれども、古い習慣の中にあなたがいるならば、 それは十字架の恵みをまだ充分に体験していない。どんなにこの十字架の恵みが、 私たちにとって素晴らしいものであるかということを、私たちはいつも覚えなければいけない。 それがスタートです。そしてそこから今私たちは、この様なものを神様からいただいている訳です。 だからいつもあなたは、正しい宣言をしなければなりません。もう私はこれは終わっています。 私にはこれはありません。誘惑が来ても、私はそれを行いません。私は正しい方向をいつも向いて、それを行います。 これが私たちなのです。


 そういう環境の中で彼は過ごしました。しかし不思議な事に、そのようにしてエレミヤに対して怒り狂っている、 王と、王の子供たちは、その上から、排泄物の中にいるエレミヤに、「神の言葉は無いのか?」と、聞きました。 「いや、あります。」また、自分たちの気に入らない様な言葉を言いました。皆さん、王という立場にいて、 本当に最高の場所にいて、飲むにも、食うにも、寝るにも、何一つ苦労しない状況の中にいる人が、 排泄物の中にいる人間に、「神の言葉は無いのか?」と、言わなければならない。それでもエレミヤは、 神様から聞いた声を書きました。「あなたの目はえぐり出されるであろう。」どれだけ王はまた、 憤ったかも知れません。「こいつはこんなことをしても、何にも変わらないやつだ!」と、 言われたかも知れません。しかし優性の霊は、そういったものを私たちの中に、作り出して行くのです。 だから私たちは、どんな扱いであっても、神様の前に正しく立ち続けることが出来るということです。

 優性の霊を持つとは、こういうことです。という、身を持った体験を、私たちに旧約の人物は残してくれたのです。 ですからこの霊があれば、こんな状況の中でも、正しく生きて行けるのだ。 という所に、私たちは心を向けなければいけません。この災いに会いたくないという考えではなくて、 それが来ても、私はこの霊がある限り、それをなすことが出来る。神様の目的を、 はっきりと宣言することが出来る訳です。自分の立ち位置が悪かろうが、環境が悪かろうが、 目的を宣言することが出来る。これをしましたエレミヤは。神様がそれを私たちにさせて下さるのです。 だから私たちは恐れることがないです。私たちはこの霊を神様からいただいているのです。 「何でその様な状況の中で、あなたは本当に、喜んでいることが出来るのですか?」 「私の中に優性の霊があるからです。」これが、エレミヤが、私たちに教えたことです。 優性の霊の例えで、モーセが言いました。彼は公の立場を拒否しました。エジプトの王の子であるということを、 モーセは拒みました。そして羊飼いの放浪者になりました。そして40年、80歳の時、その時に、 彼は燃える芝の所で、神様に出会いました。そして神様の声を力にして、彼は一歩踏み出して、出て行きました。 それ以外彼は、何も持っていませんでした。彼は神様の声だけを頼りにして、出て行きました。 これが優性の霊です。あなたは、これがそろったら、あれがそろったら、いや、こうなったら行こうか、とかね。 こうなったら出来る。ということではなくて、私たちは聞かされたことを行う、ということです。 それをやるならば、必ず私たちは実を結ぶ事が出来ます。なぜなら、そういう霊をいただいているからです。 それを私たちは持たなければならない。そして私たちは、広がり続けて行かなければならない。 ただ教会が、正しくなって行くということだけではなくて、この世の価値観で、 もう本当に解決の糸口を見出せない様な世の中の人たちに、私たちはこれを流し出して行かなければならないのです。 神様に栄光を返して行かなければならないのです。


 優性の霊という所で、テキストには、6つのポイントが書いてありますね。

1.押しつぶされることの無い信仰。
私たちの命、死、豊かさ、貧しさの中でも保たれるということです。 あなたがどんなに病気で苦しんでいようが、あなたがどんなに問題の中で苦しんでいようが、優性の霊を持つならば、 それは押しつぶされることは無いということなのです。こういったものを、私たちは本当にいただきたいと思います。 これこそが、私たちを正しく立たせることだと思います。

2.真実と光の内に歩む能力を生産します。
偽った世の考えや、一時的な、その時だけの、場を収める様な方法論ではなくて、 永遠に変わらない価値観で、真実を貫き通すという能力を、私たちの中に常に生産して行くのです。 これが優性の霊です。あらゆる状況に於いて、一歩踏み出す。 不可能な状況で、神は私たちに成熟へと呼びかけておられるのです。これが優性の霊です。 私たちを成熟させようと、神様は呼んでおられるのです。

3.相反する状況や、不可能の中での神への従順。

4.高められた水準で歩む神とのパートナーシップ。
神様の本質を学んで、神様の近くへ行って、神様とパートナーになって進んで行くということです。

5.地球全体が不安定になっている中での確信と自信。
私たちはどんなに、目に見える状況が悪くなって行こうが、確信と自信を持ち続けて進むことが出来る民であるということです。 これが優性の霊です。だからどんな問題でもこの霊によってそれを解決し、正しい方向に導くことの出来る力です。

6.私たちの周りの全てが襲われている時にも、神の国の基準を保つ能力です。
そうです、どんな事が起こっても、私たちは神の国の基準を保ち続ける能力を持ち続けるのです 。絶対にそれは揺るがないです。信仰によって、ハイと言い続けて行くならば、 必ず私たちは、成し遂げて行くことが出来るということです。 それが、神様の声を聞くことによって、生産されて行くということです。  最後に私から皆さんにお勧めしたいことは、やはり御言葉をよく読むということです。これは本当に大切なことです。 御言葉を読むならば、神様は必ず御言葉を通して、あなたの心に語りかけます。そして聞いたなら、 それをあなたは言わなければなりません。本当に神様の口から出る、 命のパンによって、私たちは満たされなければならないです。そうする時に私たちは、正しいものをいつも、 自分の霊と心の中に入れることが出来るのです。

 優性の霊を持つということは、本当に正しい実をもたらして行きます。だから言わなければいけない。 エレミヤは聞きました。その結果、言ったことによって、彼の生活は一変しました。 それでも彼の心は何も変わらなかった。これは私たちの心です。これが優性の霊です。 兄弟姉妹、御言葉を読みましょう。神様の生ける命のパンをいただいて、 優性の霊を築き上げて行きましょう。そして本当に私たちは完成して行きましょう。


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