2012年1月1日日曜日

備 え る

2012年1月1日(日) 主日礼拝より
 
メッセンジャー:久松政一 牧師(クライストチャーチ主任長老)



 「備える」これは1年間、私たちにとって大切な言葉です。
「備える」というのは、準備するという意味ですね。 私たちは神様に会う備えをしなければなりません。すなわち、神様の側でなさることを、私たちが期待するために、 私たちの側でなすべきことを全部備えるべきです。そして神様の御前に、「神様、備えることができました、 準備ができました。」と、神様の前に行くなら、神様の側で備えておられることを、 神様は私たちに教えて下さるはずですね。ですから私たちは今年1年備えましょう。 この地球は永遠に存在するものではありません。いついかなる時かも知れませんが、聖書は、無くなると書いてあります。 その無くなる前には、ものすごい悲しみと、絶望が、この世界にやって来ます。 そして終わりが来ます。その終わりに向かって、私たちは準備しなければなりません、 何を準備しましょうか?今日はそのことについて、お話をしたいと思います。


アモス書4章12節
 「それゆえイスラエルよ、わたしはこのようにあなたに行う。わたしはこれを行うゆえ、 イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」
イスラエル、これは国家ですね。イスラエル国家、 これが旧約聖書の意味でした。イエス様は2千年前、神の国を現すために来られました。 ですからポンテオ・ピラトというローマ帝国の総督であった人物の、「あなたは何者か?」という質問に、 イエスは、「私はこの世のものではない。私は天から下って来たものだ。」見えない国、永遠の国、 その国を私たちに現すために来られました。新約聖書において、イスラエルとは神の国を現しているのです。 イエス・キリストを信じた人々が、神の国の民なのです。イスラエルとは、神の王子、神の国の選民なのです。 何と素晴らしい立場に、今私たちは置かれたことでしょうか。 神様は言われます、「イスラエルよ、神に会う備えをせよ。」あなたのことです。 「神にお会いしても、裁かれない生き方をせよ。この世の中の様な、汚れた生き方をするな。」と、 おっしゃっています。それが私たちの側で備えることです。準備するということは、 私たちの心を整えるということですね。それが本当に大事です。では備えるとは、準備するとは、 どういうことでしょうか。 



 
ヨハネによる福音書4書31~34節
 「先生、召しあがってください。」 
と、弟子がイエス様の所に来て、食べ物をさし出したのです。するとイエス様は、 「あなたがたの知らない食べ物がある。」お前たちが持って来てくれた食べ物ではなくて、 ちがう食べ物があるのだ。私の食べ物というのは、私を遣わされた方、天の父なる神様の御心を、 考え方を、この地上で行うこと、それが私の食べ物なのだ。心の糧、心の食べ物なのだ。 この世の考え方は一切入れない。この世の食べ物、この世の考え方を、食べ物としていると腐る。 皆、虚しく、つまらなく、いつかだめになる。この地上の物で満たされるものは何もない。 本当に私たち人間を満たすことのできる食物は、聖書の考え方を食べることです。世の中の考え方を、 腐った果物のように捨てる時、私たちは本当に生きることができるのです。


ヨハネによる福音書6章26~27節
「朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。 これは人の子があなた方に与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである。」
人間は、食べ物のために生きている、 人よりも上の生活、お金、それだから虚しくなる。本当にこの世の中は、何も真実がない。 裏切りと、妬みと、憎しみと、殺し合いです。イエスは言いました。朽ちる食物のために働くな、 それが本当でない。最低限の食物は、肉体を維持するために必要だが、それを求めることを止めて、 永遠の命に至る、朽ちない食物のために働くがよい。それが神様の考え方に生きるということです。 これが準備をするという意味です皆さん。私たちは準備をするべきです。この世の食物、 この世のパンは、この世の生活のために生きるのです。けれども朽ちないパンは、神の御心を行うのです。
 御心を行うために、旧約聖書では宗教的な儀式をしました。けれども今、私たちクリスチャンは、 そういった宗教的な儀式をするのではなくて、本当の意味は何かと言いますと、 それは私たち今のクリスチャンにとっては、礼拝です。 でも礼拝が宗教的行事のようになっている教会もクリスチャンも沢山います。礼拝の本当の意味は、 型や形式ではありません。これは霊と真をもって神様を礼拝することによって、見えない天の窓が開いて、 神様があなたに知恵を与えて下さいます。あなたに言い尽くせない喜びを与えて下さいます。 この世の中の食べ物では満たされない、心の本当の食べ物を、礼拝する時に満たされるのです。 天のお父様から愛されている喜び、恵が、私たちの心に浸透していくのです。それが私たちの礼拝する意味です。 見えない食物をいただくことですね。
 また、祈るというのは、「祈ること」自体が本当の目的ではなくて、祈ることによって、 神様の考え方を聞くことができるようになることが、祈ることの本当の目的なのですよ。 神との交わり、神から聞くことができるというのが祈りの重要性です。祈りから、 私たちは神の声を聞き分ける。祈ることから何か神様からインスピレーションをいただく。 これが大事です皆さん。
 また、「聖書を読む」読んだことが素晴らしいことではない。読んで、神の心を知らなければならない。 ただ読んだだけなら意味がない。
 また、「伝道する」というのも、宗教的な行為です。ただ人に伝えることだけではない。 それは、その人を心から愛して行う行為なのですよ。自分自身が変えられた喜びを、人にも伝えたい。 それが伝道の本質です皆さん。私たちが信じて行う時、神様は働いて下さるのです。
 では実際に、私たちがこういう聖書を読んだり、礼拝して神様から恵をいただく時に、 我々はどういう行いをして行くことができるか、例えば、旧約聖書においては、 殺してはならないと書いてありますね。神様からの食物をいただくと、殺すのではなく、 人を生かすようになる。ひどい事をされても、その人を許す心が与えられる。 許しの力が私たちの中に注がれて来るのが、神の国の心です。人は誰でも失敗します。失敗した時に、 裁き人にならないで、「いいよ、許してあげるよ、また、もう一度頑張ろう。」って、兄弟たちよ、 あなたが言うなら、その人は生きます。私たちは本当に今日、備えるという意味は、 「神様の前に正しく生きよ。」という意味です。
 また、神様は、「盗んではならない。」と言います。見ていなかったら、これぐらいはいいだろう。 神様からの食べ物をいただいたなら、そんな考え方はない。また、盗んでいる所を見つけられたら、 「ちょっと借りていただけだ。」という様な人、盗みです。正しく生きよ。
 また、偽証してはならない。自分のプライドを守るために、簡単にあなたは嘘をつきませんか。 それは偽りですよ。「ごめんなさい。」と、言えないから嘘をつく。神の国の民は、盗まない、嘘をつかない。 子供に対して正しいしつけをして下さい。私たちは神様からの食物をいただいて、 礼拝の時、神様の声を聞き、祈りの時、神の声を聞き、聖書を読む時、神の考えを理解して、 それが私たちの食物になるなら、私たちが何か盗もうとする時でも、神様の声が必ず聞こえます。 「盗むな!」こういった一つ一つのことを、実際正しく行って行くということが、 今年、準備するということでもあるのです。あなたが気に入らない人、その人に対して、 影響を受けないようになることが、神様からの教えです。影響を受けないような食べ物を食べていないなら、 あなたは影響を受けてしまいます。
 私たちがイエス様と同じ食物を食べるなら、ひどいことをされても、 イエス様は、「許したまえ」と、祈られた御方です。私たちが不安定になったりするのは、 私たち自らを律することのできない、世の中のものを食べるからです。神様の食物を食べるなら、 一つの事に固執することは無くなります。私たちの心を、本当に正しく満たしてくれるのは、 神様からの考えです。聖書の考え方で生きる人を、「イスラエルよ」と、呼ばれるのです。
 今年私たちは正しい人になりましょう。それが準備するということです。そうするなら、 神様の前に行く時、私たちは神様が怖くない。正しい人は、何も恐れることはないのです。 それが人間の、本当の幸せなのですよ。その幸せを奪ったのが、罪ですね。この世の中の考えは罪だらけです。 そして皆その考えに染まってしまっています。本当の意味で心の聖さとか、あたたかさとか、 優しさなんていうものは、価値が無いと思っている。それが世の中です。教会はイスラエルです。 正しいことを行うために、神様は私たちを創りました。さあ正しい行いをして、生きて行きましょう。 それによって人にどう思われようが、何の影響も受けなくなりますよ。私は神様を意識するけど、 人を意識しない。そうすれば、強く生きられます。 

私たちは今年、備えをしましょう。


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