2012年6月3日日曜日

合流の日を迎える心構え

2012年6月3日(日) 礼拝メッセージより

メッセンジャー:久松ひろ子 教師(クライストチャーチ)


 私たちが今まで何をしてきたか、そして何処に行くかについて、今日皆さんと共に確認したいと思います。
ウッドロフ先生も、カップ先生も、何度もおっしゃったことを、覚えていて下さい。 これは私たちが、かって行ってきた中で、最も重要なことです。そう何度も語られました。 この時点で、この場所にいる皆様は、本当に最後の最も重要なエキスを抽出した、 これをいただく時が来ているということですね。だからこれは最も重要なことです。 でもその重要性がどのくらい重要なことであるかは、なかなか私たちのちっぽけな頭では、理解できないし、 すべて知識としてこれが分かる人は、多分いないと思います。私たちも分からない部分をいっぱい残してはいる。
 でも私たちはこの時、この残された期間を、どのように過ごすかということ、それは今日語られた中で、 それぞれが孵化(ふか)すると言う言葉が使われていました。孵化っていうのはね、卵がかえることを孵化と言います。 だからこの期間は、卵をかえすために、みなさんの中で卵、新しい命が誕生するために、充分に一人一人が、 心の中に、この考え方を宿して、温めて、そしてその日を迎えるための備えをする時だということを、 どうぞ覚えていただきたいと思います。 


 そこで私たちが今まで何をしてきたか、整理をしてみたいと思いますが、この代表行為の山の一冊目の、 この中で、私が皆さんに伝えたいことは、セッション2-8の所に、このように書かれてあることです。 私たちにとって、今本当に必要なことは何かというと、私たち教会全体が備えなくてはならない。 ということを言われましたね。備える状態になければならない。ではその備える状態の中で、 皆さんがポイントとして持たなければならないことは、最終的には、 私たちは神様の前に自分自身を差し出すことになるという、神の前にイサクが差し出されたように、 私たちは一人一人、神の前に私たちの命を差し出すことになる、ということを言われています。 私たちがそのためにしなければならない考え方というのは、




 一つ目、私たちは最後の成熟と呼ぶ、準備が整った状態を、 活発にたずね求めるということが言われています。だから、自分自身の最後の成熟というものを、 最後まで皆さんは追跡しなければならない、ぞれぞれのレベルにおいて、あなたの最後の成熟は何か、 神の前に自分自身を差し出すのに、不都合なものを取り去らなくてはならない。神の前に、清い花嫁として、 自分を差し出すための準備をしていかなくてはならない、ということですよね。そしてそれと同時に、 キリストの身体にある、私たちの兄弟姉妹への愛の心を完成させるという、この二つが本当に大切なことです。
 これをもう一度言いますと、自分の成熟を尋ね求めるというのが、成熟の山でした。これは花嫁の教会として、 イエス様が迎えて下さるために、傷も、しみも、しわもない、花嫁の姿の教会を、イエス様は迎えに来て下さる、 そのために、一人一人は、自分を清めていく過程が必要でした。それが最後の成熟という過程です。 それによって、イエス様が私たちを迎え入れて、受け入れて下さる土台、準備ができるのですね、 それは一人一人ではなくて、教会全体として、するべきことであると言われました。 だから教会といっても、実は私やあなた一人一人です。だからあなたも、この最後の成熟の時に、 急いで清められなくてはならないのです。だからこれは、それぞれ自分の責任にかかっている、あなたの側でなすべきことを、 最後の最後までやり続けて下さい。自分の中で、問題として残っている部分があってはいけない。 傷を持ったままではいけない。それをすること。そうしたら、イエス様は私たちを迎えに来て下さる、 というのが今までの教えだったのです。
 使徒的改革という、この教えの入る前は、これについては、ある程度教えられてきたと思います。 概念的に知識的に、清くて傷のない花嫁の姿の教会、栄光の教会を、イエス様は迎えに来て下さるという、 こういう教えはあったのですね。どこの教会も、これは知っています。でもそこに至るための詳細な、具体的な、 清められた教会になるためのプロセス、深い内面的変化を通るための考え方、自分自身を扱うための方法、 それを教えていただいたのが、この最後の成熟の山の教理、教えです。それを通して私たちは、 自分が持っているヘゲモン、自分の考え方の中にある固定的な、神にふさわしくない考え方、固定観念というものを、 取り扱わなければならない。ということも聞きましたね。ヘゲモンを壊さなければならない、 そういったことを聞きました。
 それから、新しく神にあって生まれた者として、再定義するということも聞きました。 そして3つ目は、キリストと同じ型に流し込まれる、キリストの身丈に到達するということ、 そして、天に向かって身体を伸ばす。この地上のもの、この地上の価値観を離れて、神の価値観に向かって生きる。 この4つの成熟のプロセスを通りました。それによって私たち一人一人の土台はできたのです。 でも昔だったらそれは、自分が最終的に神様の元に行けるためのものでしかなかった。沢山の教会が教えている事は、 あなたが救われるための道はこれです。ということを教えてこられたのですね。 けれど、これだけでは不十分であって、本当に私たちは、キリストと同じようにならなければ、 最終的には神様の下には到達しなというのが、ウッドロフ先生が、神から教えられた部分です。 それがキリストの身体全体を代表して、神の前に立つということ、そしてそれが究極的には、 イエス様と同じものになるということ。それがアブラハムがイサクを捧げたということ、こういうこと、 これが無くては、神様の心を完全に喜ばせることはできない。私たち自身のためと同時に、 世界中のあらゆるキリストの身体全体の代表となることを、自ら望むという、この二つのプロセスを通して、 私たちは神の前に正しい者として立つというのが、神様の最終的願いです。 
 
 ですからその代表行為の教えの、最後の定義は何かということを、もう一つ最後に見たいと思います。 このセッション9の最後に、この代表の行為の最終的定義は何かというと、二つの代表行為の定義をつなげて、 完全な定義とします、
世界中の教会の兄弟たちの代表として、正確な聖書的機能を持って、神の前に立つために、 コングレスの心の内に、聖霊様によって生み出された願いです。
 これが一つ目の定義でした。 


 二つ目の定義は、
それにより、主が私たちの霊的達成と業を、彼らのためにも認めて下さいます。 それにより、地上で門が作られ、それを通して、神の自由な支配と最終決定された神の国の目的が、 バビロンのシステムへ流れるのです。
これは神様がなさる部分です。これは私たちが神の前に、 私たち自身を捧げた時に、神様がして下さる分として、これが語られているのですね。
 だから私たちは今、何をやっているのか?ということについて、本当にもう一度皆さんの心の内に、深い心で、 このことについてよく考え、最終的にあなたも、神の前に立つための心の姿勢を、整えていっていただきたいということです。 何も思わないで、何も考えないで、ただ皆と一緒に行けばいいのだ、それもいいかも知れませんけれども、 正しく聖書的な理解を持って、そこに臨んで欲しい、そして神様は、代表として捧げた私たちの命を、 どのように変えて下さるか、それは神様の側でして下さることですが、それに対する大いなる信仰による期待を持って、 集って欲しいと思います。今までの歴史の中で、このような備え、20年間かけて、世界中で一つとなって、 神様に大きな犠牲、礼拝を捧げたグループはありません。コングレスだけです。 だから私たちは本当にそのために選ばれた者として、祭司としての服をまとうことも、しっかり教えられましたね。 ですから全部理解できなくても構わないのです。けれども大切なことは、心を準備することです。 私自身を神様の前に、世界全体のキリストの体のために差し出したいという、この願い、これが必要です。 私のためにするのではない。他の人のために私の命を喜んで差し出しますと言う、 そしてそれは礼拝をして帰って来ることであるとアブラハムが言ったように、私たちが肉の命を差し出すこと、 肉に死ぬという、最終的にはそれです。イサクは完全に肉の命を殺された訳ではありませんでした。 でも神様はアブラハムに、あなたが神を恐れるものであることを知った。あなたはもう心の中で既にイサクを殺したのだと、 みなして、認めて下さったのですね。それによって神様は、あなたによってこの地上の人間は増え広がる、 という約束を、もう一度アブラハムに確認して下さった。私たちもそこまで自分を差し出すというプロセスを、 一人一人がとっていかなければならない時だと思います。



  私たちは世界中のコングレスWBNの聖徒たちと足並みをそろえて進んで参りました。私たちはこの日、 最終の日ですね、喜びを持って神様の前に立つ時としましょう。信仰を持って神様の深い霊的な取り扱いの中に、 私たちが全体で入るということです。私たちが自分自身を差し出す時に、神の声がアブラハムに語りかけたように、 霊の次元、見えない次元と見える次元の私たちが接点を持つためには、 私たちが肉に死ななければならないということです。私たちの価値観が地上に生きているなら、 これはできないのですね。だから、普通に言えば、肉の欲、目の欲、持ち物の誇り、これは父から出たものではない、 これは地上の価値観だとあります。私たちが目に見えるもの、これに目を止める時ではもうなくなっている。 だから本当に皆さんが神様を求める、あなたにとって何を差し置いても神様に会いたい、 神様が本当に私たちに会って下さる、何とすごい事だろう、その次元とやり取りをすることができる、 何と素晴らしいことだろうか、というね、そういう思いを持って、この日を迎えていただきたいと思います。
 だから皆さん、本当に信仰が必要です。霊の次元に私たちが全体で入るための、今までの長いプロセスでした。 代表行為、最後に代表として出られるというのは、素晴らしい恵みですから、その日に備えていただきたいと思います。 そして同時に、私たちは単に霊的なことをすればいいということではない。 結局クリスチャンは、イエス様の為に命を捨てられるかという問いが、一人一人に問われているものです。 私たちの肉の命はどっちみち滅びるのです。でも霊の命に生きたいと、真に決断できるかです。 今の時代の人々にとって、この世はもう終わりです。私たちがこの合流の平原で神様と出会ったら、 いよいよ世の終わりはもう秒読みのように進むかも知れないというのが今の時代です。この世の自然現象も、 全て終わりを示しています。聖書に書いてある通り、太陽は暗くなり、月は血に変わると書いてある。 全ての現象が終わりに向かっていると思います。


 皆さんどうぞあなたの周りの全ての人に、「もう終わりが近いよ。」と、言って下さい。 「だから備えないといけないよ。」って言って下さい。それが真の愛です。そんなこと言ったら、 ノアと同じようにバカにされるわと思わないで下さい。終わりはいつどのような時か、 それは天の神様だけが知っておられる。でも必ず来る。そのために私たちは、代表として備えはしました。 でも備えができていない人たちのために、あなたは最後の瞬間まで、働かなければならない。 最後の瞬間まで、あなたにはメッセージがあるはずです。救われてない人に対するメッセージです。 だから本当に気を付けていただきたい。この刻々とせまっているこの時を、本当に意味深く、他の人の益のために、 過ごしていただきたいと思います。 


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