2012年12月2日日曜日

クリスマス



2012年12月2日(日)礼拝メッセージより

久松政一牧師(クライストチャーチ主任長老)



マタイによる福音書2章1~2節
「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになった時、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました。」
こう書かれていますね。ですから、イエスがヘロデ王の時代に生まれたことが明確です。そしてその場所は、ベツレヘムで生まれた。そしてそれをユダヤの王、すなわちヘロデに告げた人々が、東から来た博士たちであった。彼らがエルサレムに着いて、そして王様に、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?」と、聞く訳です。

 「私たちは東の方でその星を見たので、その星を拝みに来ました。」ですからベツレヘムの星という言葉が使われていますね、これがクリスマス・ツリーの上にある、大きな星、あれはベツレヘムの星を指している訳です。そしてその真下で、イエスがお生まれになったということの象徴的な意味で、クリスマスツリーは飾られている訳です。

 イエス様の御生涯が、誕生から、十字架の道、甦りまで、全て預言の通りの成就であるということを私たちが知ることによって、何を私たちは今日知るべきかというと、あなたが生まれた時から、今日に至る時まで、そしてあなたが亡くなる日まで、神様の計画があることをあなたは知らなければいけない。あなたは勝手に生まれてきたのではない。だからいい加減な生き方をするなと神様はおっしゃいます。


このベツレヘム、このことについての聖書の預言、

エレミヤ書23章5節

「主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。」 マタイによる福音書2章2節「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」
王としてイエス・キリストはお生まれになった。そのことについて、このエレミヤは明確に言っています。「私がダビデのために、すなわちダビデの子孫から、ダビデの家系から、必ず一つの正しい枝を起こす。」これがイエス・キリストのことであることを、私たちは知っています。

「その日が来る。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。」これはユダヤ人の王というよりは、世界の王として、正義と公平を行われる。今本当の意味でのユダヤ人は私たちです。イスラエルに住んでいるユダヤ人が、本当のユダヤ人ではありません。イスラエルという真の意味は、神の王子です。神の王女です。イエスを信じる者は、神の子です。そう書かれています。私たちこそ、日本の国に住んではいるが、イエスを信じることによって、本当のユダヤ人です。そしてその王はイエスです。この方が世を治め、栄えて、公平と正義とを世に行われるお方です。そのお方を私たちは信じている訳ですね。

 イエス様がいつも言っておられることは、私自身では何もすることはできない。皆さんもその様な生き方をして欲しいのです。自分の感情に左右されて、いつも戸惑いを覚えて、自分自身の感覚で生きることを止めて、父の御心を行う生き方を、あなたもすべきです。

 私たちは神の裁きを見る時代にきているのです。イエス様は王として、私たちに決して動揺することのない、確信に満ちた人生を送らせるために、この世の中がどんなに暗黒の中に入ってきたとしても、この最後の時代を、今私たちは生かされていることを、覚えなければならない。

 皆さんこんな時代に、まだ何を求めているのですか。自分の楽しみや、そういうことによって、どれだけの、今悲しい世界が作り出されてきているのですか。自我はいらない。あなたの真の幸いは、神の御心を行うことです。

マタイによる福音書2章4~5節
「『そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生まれるのか』と、彼らに問いただした。彼らは王に言った、『それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています。』」
旧約聖書によりますと、それはベツレヘムです。と、彼らは王に言いました。それがミカ書です。

ルカによる福音書2章1~20節

 皇帝アウグストが、「このユダヤの国の人口調査をせよ。」という命令を出した。ヨセフとマリヤはもう結婚していました。そして処女マリヤであった彼女の胎には、イエス・キリストがおられた。彼らはナザレに住んでいた。ですからもし、この人口調査の勅令が出なかったら、当然このマリヤは、イエス・キリストをナザレで生んでいたのです。そうであったら、ベツレヘムで生まれるという、聖書の預言は成就しなかったのです。だから神様は、ローマ皇帝アウグストを動かしたのです。  

 皆さん聞いて下さい、この世界で起こる全ての事は、神が動かしています。神様が全ての人を支配しています。そして世界は終りを告げるように、神は今進めておられます。私たちの神は、計り知ることのできないお方です。人の頭で理解することなど、とうてい不可能です。なぜならこの宇宙を創り、銀河系を支配しておられる方、この方が私たち全人類に対して推し進めようとされる時、どんな事でも神はなさることができることを、私たちは信じる民であります。

 それゆえに彼らはナザレを出て、ベツレヘムというダビデの町へのぼって行った。ナザレというのは、非常に北の方にある町です。このナザレで、ヨセフとマリヤは住んでいたのですね。ダビデはベツレヘムの生まれです。ですからダビデの家系であったヨセフは、当然自分の故郷のベツレヘムに、人口調査のために行かざるをえなくなったのです。神様は全部御存知です。だから私たちは本当に、暗闇を捨てなければいけません。これに対しての答えがミカ書です。

ミカ書5章2節
「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。」
ベツレヘムでイエス・キリストがお生まれになるのは、もうすでに前から定められていた事であった。と、書かれています。だから神様は、全てを動かしました。皇帝アウグストを動かし、そしてヨセフを動かし、そしてついに、ベツレヘムにまで彼らはやって来たのです。そしてベツレヘムで、イエス・キリストは、生まれなければならなかったのです。

 なぜなら預言が成就するためです。私たちも同じです。神の御心の預言が、あなたを通して成就するために、あなたは生まれてきた。あなたは汚れた事をするために生まれてきたのではない。あなたは正しく真実に生きるために生まれてきたのです。それが私たちの本当の姿です。創造者の心に従って生きることが、被造物である私たちにとって、最大の幸せです。

マタイによる福音書1章18~22節

  イエス・キリストの誕生は全てが奇跡です。イエス・キリストは、おとめが身ごもって生まれると書かれています。ですからヨセフと婚約はしていたけれども、ヨセフは決して彼女を知ることがなかった。マリヤの中にある胎は、聖霊によって身重になったと書いています。神様御自身の霊によって、イエス・キリストは、肉体を宿らせられたのです。その胎を引き受けたのが、マリヤです。

 ですから私たちはこれを知る時に、この型を知らないといけない。マリヤは、聖霊を宿すタイプ、型です。私たちもイエスを信じて、清いイエス・キリストの霊を私たちの内にいただいて、マリヤのように清く生きなければならないのです皆さん。

イザヤ書7:14
「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」
おとめがみごもらなければ、救い主ではない。聖霊によってみごもられたお方、だから彼の中には罪というものがない。私たちは親から受け継いできた、罪という性質によって生まれてきますから、全ての人間は生まれた時から罪人です。この罪を許すために、聖書に書いてある通りに、イエス・キリストはお生まれになったのです。
 イエス・キリストがお生まれになったこの目的は、十字架に向かって死ぬためです。死ぬべきお方でない方が、あなたの罪のために、身代わりとなって死ぬために、この世に生まれてくださった。私たちはその御業を誉めたたえずにはおれないです皆さん。

 あなたの様な罪人のために、私の様な汚いみにくい者のために、神御自身が身代わりとなって十字架の道を歩まれるとは、何という御計画でしょうか。あなたはその愛によって救われたのです。神の子として下さったのです。何という恵みですか皆さん。何という哀れみですか。しかもその代償が、十字架という呪いを受けたのです。イエスはあなたを愛するが故に、あなたを罪と呪いから救い出すがために、大いなる神の御計画の下に2千年前にベツレヘムでお生まれになって、処女マリヤから生まれたこの奇跡は、今世界中に広がって、イエスを信じる者たちが、どの国においても増え広がっていっていることを、私たちはこの目で見ているではありませんか。

 しかし救われたということが目的ではない。イエス・キリストがお生まれになって、33年と半年の御生涯を、どの様な生き方をなさったか、すなわち彼の生き様、その考え方、その思想、それを私たちが模範とするためであることを、あなたは知らなければならない。神様があなたの目を開いて下さいますように。人々のために生きる。その様な歩みこそ、私たちの生き様じゃないですか。

 ですから今日私がこのクリスマスを本当の意味で祝うことができるというのであれば、イエス様が何のためにお生まれ下さったのか、その目的と意義、そのことを深く悟って、イエス様が歩まれた歩みを、私たちは深く理解しなければならない。

 イエスが自分のために生きたことが一度でもありますか?自分のために生きる=不幸。私たちは人のために生きる=幸せなのです。人々のために生きるのです。何のため?この世界を終わらせるためにです。もうこんな世界は早く終わらせたい。
 もう本当にひどい事が一杯行われている。全く理解できない様な出来事が一杯起こって、だから神様はこの世界を終わらせます。この地球も終わらせます。そして素晴らしい国を、イエスは御創りなさるのです。その国は平和の国です。そこには死も悲しみも涙もない。私たちはその国の民なのです。
 だからこの地上で生きていても染まらない。この世の考え方や思想には染まらない。イエス・キリストも、その様な歩みをなさいました。イエスを信じるということは、神の恵みです。信じたいと思う人たちがまだまだ沢山いますよ。でも、信じたくないという人たちの方が多いのです。それは呪いです。

 神様の目的は、私たちが正しく生きるためです。その模範のために、イエスはお生まれになりました。喜んで祝おうじゃないですか、「メリークリスマス」と。本当にありがとうございます。私を罪と呪いから救い出すために、そして正しく生きるために、人々のために、また、この世界を終わらせるために、神は私をこの時代に産んで下さり、私を今生かしていて下さる。その目的のために、私もイエスとともに生きよう。そのように清い生き方をする歩みは、何と幸せなことではありませんか。世の中のどんな影響も受けない。
 
 人々を愛し受け入れ、許し、励まし、なぐさめ、強めていく、この様な歩みは最高の人の喜びであると信じます。なぜなら、イエス・キリストがそのように生きて下さったからです。多くの世の人たちは、イエス・キリストは十字架で死んで、不幸な人生だったと言うのです。

 しかし本当のクリスチャンは、イエス・キリストが、人のために生涯歩まれた人生こそ、最高の人生だと言うのです。だから私たちも、「人々のために生きることが、私の本当の喜びです。」と、言うのです。私たちの価値観は世のものとちがうのです。イエス様が言われたように、「私が世のものでないように、あなた方も世のものでない。」と、言っていただけているわけですから、こんな感謝なことはないでしょう。

  もうすぐ終わりがきますよ。全部資源は尽きていきます。世の中はますます暗くなっていきます。もう人が人でなくなります。本当にひどい世界に入っていきます。その時私たちは輝くのです。真の暗闇になればなるほど、光は輝くのです。私たちは清い者です。真実な者です。イエス・キリストと同じ者なのです。ですから私たちは、このクリスマスを祝うのです。

 イエスが預言の通りに成就して、お生まれ下さったように、私たちも生まれたことには目的があります。そしてあなたがイエス・キリストを信じるまでの間、色んな出来事、あなたにとって辛い事も、いやな事も、見たくないことも、全て神様が計画してきました。そしてあなたはその歩みの中で、イエスを信じることができたのです。
 
 イエス・キリストを信じることの故に、あなたの今までの歩みがあったのです。ですから私たちの今までの人生の中で起こってきた全ての出来事は、あなたにとって何一つマイナスな面はありません。全部益になります。それがイエス・キリストの救いです。だから私たちは喜びましょう。本当にクリスマスを心から喜ぶ民です。この世の中の人たちは全く知らない。その人々にイエス・キリストの福音を伝えましょう。

 イエス・キリストこそ、あなたを罪と呪いから救い出す、唯一の神であることを、お伝えしていきましょう。

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