2004年4月1日木曜日

私達は何者ですか?


2004年4月 主日礼拝より

メッセンジャー:デイビー・カップ師

(アメリカ・ロングビーチ:シティ・アット・ザ・クロス主任牧師) 





マタイによる福音書8章23~27節
 それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。 ところが、イエスは眠っておられた。そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起こし、「主よ、お助けください、 わたしたちは死にそうです」と言った。するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるか、信仰の薄い者たちよ」。 それから起きあがった、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。 風も海も従わせるとは」。


 イエス様というお方は、確かに神が人となられたお方ですけれども、でも人なるお方です。そして人がどんな素晴らしい事を する事が出来るか、それを見て彼らは驚いた。

気をつけていただきたいことは、イエス様はこの弟子たちが、同じ事をする事を 期待しておられたのです。イエス様は、舟で眠っておられます。この嵐の真っただ中で誰かが立ち上がって、同じ様に、 「この波よ静まれ!」って言うのを、期待しておられたのです。

だからこそイエス様は、「どうしてあなた方は臆病になるのか?」と、 おっしゃいました。彼らがそれをしなかったので、イエス様は怒られました。

皆さんが罪の力から救い出されたのは、 皆さん自身もイエス様のようになる事が出来るためです。イエス様がなさった事は、皆さんも出来るのです。

「私はただの罪人です。」いや、そうではありません。彼らは何と言いましたか?
「このお方は一体どんな人間なのか?」 このお方がどういうお方であるかお話します。


ちょうど、皆さんや私達と同じようなお方です。
皆さんは自分が何者であるか ということを知る必要があります。
キリストにあって、皆さんがどういう者であるかを、知る必要があります。皆さんは、 本当に弱々しくこの地上を歩いている普通の人間ではありません。皆さんはイエス様と同じ様な存在なのです。 皆さんがイエス様と同じ様に出来ない一つの事は、誰かの為に十字架に架かって死ぬという事です。他のものは全部出来ます。

 イエス様というお方は、イエス様が神様だから、様々な事が出来たのではありません。イエス様がこれらの事をなさったのは、 イエス様が聖霊に満ちあふれた人であったから、これが出来たのです。もし皆さんがイエス様のなさった事をしたいと願われるなら、 人間でなくてはならない。そして聖霊に充満していなくてはならない。それがカギです。
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今日は皆さんが実はどういう存在であるかという事を、皆さんに紹介したいと思います。本当のあなたを。
ヨハネ福音書14章12節
「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、 もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」


 イエス様がされたより、もっと大きなわざをする様に、皆さんは整えられている、備えられているのです。 そう聖書に書いていますか?聖書を信じますか? ではこう言いましょう! 「私はイエス様より、もっと大きいわざが出来ます。」 アーメン!
 
 私達自身が出来るのに、その事をしてもらうために、いちいちイエス様の所へ走って行って、「イエス様これをして下さい!」 と言う必要はないのです。イエス様は少し眠りたいのです。私達はイエス様が、私たち自身でするようにと、 期待しているその仕事を、イエス様の所へ行って「イエス様して下さい!」ってたのんでいるのです。
それでイエス様が 「あなたの信仰はどこにあるのか?」と言われました。神の御言葉の中にあります。今日皆さん、本物の自分を知っていただきたい。
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じゃあ私達は一体何者でしょう。私達はどんな人間でしょうか?まず一番目、私達は聖徒です。聖書は 「あなたは聖徒だ!」 と言っています。私達は聖なる者です。私達は聖くなろうとしているのではなくて、私達は聖い人です。私達は聖徒です。

ローマ人への手紙1章7節
「ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。」


 ローマの人々に、パウロが手紙を書いています。彼はこの人々を何と呼んでいますか?教会の中のほんの数人の方を聖徒と 呼んでいるわけではありません。教会全体の人達、誰もがキリストにあって、私達をもっと高い者として、考え始める必要があります。

 私達は弱いクリスチャンではありません。私達は聖徒なのだ!皆さん、神様が皆さんを見て下さる様に、 自分自身を見始める必要があります。神様がこの部屋を見られる時にですね、聖徒がいっぱいいるのを見られるのです。

神の聖なる男性、女性を見られます。それが私達です。私はそういう人間です。私は本当にみじめ、腐り果てたそういう 」罪人ではありません。
私は聖徒です。「でもそんな感じはしないんですけど。」でも、皆さんの感じは関係ありません。 神様があなたの事を、そう言われるのです。皆さん言って下さい、「私は聖徒です!」毎日ね、どうぞ鏡を前に置いて 「おはようございます、聖徒ダビデ!」本当よ!なぜかといいますとね、皆さんのまわりの、全ての者が、皆さんを 「そうじゃない、そうじゃない!」と言うからです。もし皆さんが、自分がどういう者かを知らなかったら、この世の中が、 皆さんはどういう者かといつも言います。

エペソ書1章1節
「神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒達へ。」


パウロはこのエペソ教会の誰に当てて書いていますか?聖徒達に宛てて書いています。

第Ⅰコリント1章2節 に何と言っていますか?
「コリントにある神の教会、すなわち私達の主イエスキリストの御名を至る所で呼び求めている全ての人々と共に、 キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。」
このコリントの人達も聖徒でした。いつでもいつでも、聖徒らしくふるまったわけではないのですね。でも聖徒でした。 私達もそういう者です。聖徒です。アーメン! 1番目、私達は聖徒です。
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2番目に ルカ福音書7章28節
「あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」

イエス様が今,ちょうどここでおっしゃったことを、気を付けて見て下さい。バプテスマのヨハネという人物は、 とても偉大な人物でした。それに対してイエス様は、ヨハネより大きい人物はいない。こういうふうにおっしゃったわけですね。 女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない、と言っていますね。
でも、次に何と書いてありますか? 「しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」バプテスマのヨハネは、モーセやアブラハムやダビデ達よりも偉大であった。
 しかし、神の国の私達誰であっても、このバプテスマのヨハネよりは大きい。神の御国では、最も小さい者でも、 バプテスマのヨハネよりは大きい。皆さんは神の国の中にいますか?そうしたらあなたは、モーセよりも偉大です! ダビデよりも偉大です!ヨシュアよりも偉大です!聖書にそう書いていますね。だからそう言って下さい。そう信じます。 キリストによって。

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3番目に、私達はアブラハムの子孫である。 「私はユダヤ人じゃないですよ。」と、おっしゃるかもしれませんね。でも皆さんは、アブラハムの子孫です。 ガラテヤ書3章16節 神様がアブラハムに約束をされました。神様が約束されますと、必ず実現します。そして、あなたと、あなたの子孫とに、と言われました。

ローマ人への手紙4章13節 神様がアブラハムになさった約束は何ですか?世界を相続させるとの約束、世界はアブラハムと、その子孫とに属するものとなる。 誰が約束しましたか?神様ですね。アーメン!パウロが言いました。この子孫と言うのは単数で、 キリストを指していると聞いていましたね。

ガラテヤ書3章29節
「もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。」


すごい!この約束は、アブラハムとその子孫とに与えられました。それが、私にも適応されます。約束は何でしたか? この世界の相続人です。この世界は誰に属する者ですか?

 これは皆さんの世界です。これは、皆さんの日本です。ここは皆さんの倉敷です。神様が約束を与えた。私はこの町をあげると。 アブラハムの子孫にあげると。もし皆さんがキリストに属しているなら、あなたは、アブラハムの子孫です。

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4番目に、私達は祭司です。祭司と言うのは、神様の臨在の中に立って、犠牲を捧げる、供え物を捧げる人々。 神様の臨在の真っ只中に入っていく人々。神様のおられる所に、祭司はいるのです。私達は祭司です。

第Ⅰペテロ2章9節
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、 暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」


アーメン!あなたは王なる祭司なのです。あなたは祭司です。この教会は、祭司で満ちています。私達は全員祭司です。 アーメン!
皆さんは神様の臨在の中に入って行く、その権利をいただいているのです。神様と一対一で語る、 その権利を得ています。あなたはそういう人物なのです。神様の臨在の中に大胆に出て来なさい。

イエス様が至聖所に入られた時、ただそこに立っておられた訳ではありません。 イエス様は座られたと書いてあります。イエス様は、御座に着かれたと。イエス様は王です。そして祭司です。 彼は王なる祭司です。
父が「座りなさい、あなたの王座にすわりなさい。」と言われて、イエス様がすわられます。そして、 世界を治め始められます。イエス様は王の王です。この地の国々の支配者です。イエス様がこの世界の全てをにぎっておられます。 イエス様が王です。イエス様はこの王座にすわっておられるのです。でも皆さんの王座は一つだけではないのです。 王座がたくさんあるのです。

イエス様が「あなた方も祭司ですよ。来なさい!私のいる所へ来なさい!」 そしてイエス様は何とおっしゃいますか?「私と一緒にすわりなさい!」と、おっしゃるのです。イエス様は私達をも王、 女王にして下さいました。皆さんや私達は、ただの祭司ではありません。王です。私達の中には、王家の血が流れているのですね。
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エペソ書2章4~6節 どうぞ特に5節を気を付けて見て下さい。

「キリストと共に生かし。」 
これが、私達が生まれ変わった時です。救われた時です。罪の中に死んでいた。罪過の中に死んでいた。 でも神様があなたを生かして下さった。ハレルヤ!イエス様は「私と一緒に座りなさい。」もし、 イエス様が王座に座っておられるなら、私も一緒にイエス様と座っているなら、いったい私達はどこに座っているのですか? 王座です。アーメンでしょうか?

信者達は、二つの所で生きています。天と地です。私達は、 キリストにあって支配しているのですね。私達に立ち向かって来る全てのものに対して、権威を持っていると言う事です。 悪魔が皆さんにやって来ます。でもその悪魔に対して権威を持って下さい。あなたは王です。あなたが支配者です。
誘惑が来ます。その誘惑に対して権威を行使して下さい。失望がやって来ます、敵の偽りがあります。でも、 私はキリストにあって王なのだと言って、その権威を行使して下さい。
あなたの人生の波が起こり風が吹き荒れます。 そして、「ああ、おぼれて死んでしまう!」そういうふうに思った時、どうぞ自分が何者であるか思い起こして下さい。
そして、立ち上がって「静まれ!」とおっしゃって下さい。そしたら従うのです。なぜですか?
イエス様がなさった事は、 私達も出来るからです。私達は聖徒です。私達は、ダビデよりも偉大な者です。アーメン!私達は祭司です。 私達はアブラハムの子孫です。そして私達は王なる者です。それが私達です!それが教会です!それがキリストの身体です!アーメン!

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