2004年11月15日月曜日

神の国は幼子の世界

11月の礼拝メッセ-ジより

メッセンジャー:久松 ひろ子 教師








<人間性回復の第一歩は、幼な子の心に帰ること> 

 人間関係の回復の前に、あなた自身の人間性の回復、これについてイエス様は非常に 多くのことを教えて下さっていますが、その中でイエス様が、とても大切な事として、 
幼な子の心にならなければ神の国に入ることは出来ない。 と言ってらっしゃるのですね。

神の国とはイエス様がおられるこの教会、ここは幼な子の世界であると、 おっしゃっています。
聖書の中で言う幼な子の良い点、美点を、今日は語りたいと思います。 幼な子の美しい点、そこに注目するようにイエス様がおっしゃったのですね。
 
マタイによる福音書18章1~4節
 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。 心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。

この幼な子のようにあなたたちもならなければ、天国に入ることができないと、イエス様はおっしゃいました。

ルカによる福音書18章15~17節
 イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、 弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた。するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、 「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。 神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を 受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。

私達大人にとっては、理解しがたく、大人になるとかしこまってしまいます。
幼な子の持っている美点、 性質、特質は何だろうか?神の国は幼な子のように喜びにあふれて賛美し、礼拝する。このような幼な子に 対して、私達はもっともっと目を開きたいと思います。
そして今日、皆さんが幼な子の特徴を聞くことに よって、あなた自身を振り返って、ああ私はずいぶん幼な子の心から遠ざかっている、そのことを知り、 幼な子の心に近付きたいと思っていただきたいです。それはイエス様に近付くことであります。

 
+   +   +

◎幼な子の美点 (1)理屈を超える知恵 

Ⅰコリント1章25節
「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」 

と、あります。幼な子は、一見して愚かに見えますよね。幼な子は、弱い者の様に見えますね。 でもそうではないことを、この御言葉が表わしております。
幼な子は、自然の内に神様の知恵が そのまま生かされています。
神の素晴らしさをそのまま表わしていることが多く見られます。 大人の私達が、ハッとさせられることがあります。ああ、そういうことだったのか。それの方が、 ずっと素晴らしいことなのに。ということに気付くわけですね。
子供の考えは、私たち大人の発想を はるかに超えている所があります。子供にしか出来ない発想、大人は皆、理屈の世界に閉じ込められています。 

ヨハネによる福音書6章5~9節
 イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、 「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。これはピリポをためそうとして言われたの であって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。すると、ピリポはイエスに答えた、 「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。弟子のひとり、 シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを 持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。 

 大人の考えと子供の考えがどんなに違うかということをここでも表わしています。 こんなに大ぜいの人では、たったの5つのパンと、魚2匹では、それが何になりましょうか。 そんなの無意味ですよ。こんなことしたって無駄と大人はすぐに理屈で計算して、自分の考えで 何事も結論付けますね。でも子供はそんなこと考えないのですよ。
「あっ、そうだ。私は今日パン5つと、 魚が2匹ある。」そう言って、純真な心で、差し出した時、イエス様がさいたパンが 奇跡を起こしたわけです。

ヨハネによる福音書6章10節~13節
 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は 五千人ほどであった。そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、 さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。人々がじゅうぶんに食べたのち、 イエスは弟子たちに言われた、「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」。 そこで彼らが集めると、五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。

 イエス様について来た群衆は満腹して、なお余りました。このような幼な子の知恵というものは、 素晴らしいものがありますね。
そのような神の知恵が、幼な子の心の中にあることを覚えて、 一人の人格者として、受け入れて、認めていっていただきたいと思います。子供の心の中にある、 神様から来た心というものを、私達はいつも捕らえて、 そしてそれに気付かされなくてはならないと思います。

 
+   +   +

(2)義理を超えるあわれみ
マタイによる福音書5章7~9節
 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。心の清い人たちは、 さいわいである、彼らは神を見るであろう。平和をつくり出す人たちは、さいわいである、 彼らは神の子と呼ばれるであろう。 

 子供は平和が好きですね。本当に争い事は嫌です。夫婦が争いあっていると、子供は悲しむのですね。 痛むのです。ですから私達は平和を求めて、平和をつくり出そうとする子供の心に、 見習わなければならないと思います。純粋な愛をさっと差し出せる子供の心は、素晴らしいものがあります。 自分の力量を超えた事でも、手伝ってあげると言ってくれます。
子供は考える力があります。どんな言葉で教えるよりも、親を見て育つものです。 子供は親の姿勢そのままを表わしています。

 
+   +   +

(3)利害関係を超える愛の清らかさ
Ⅰヨハネ3章17~18節
 世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、 彼のうちにあろうか。子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、 行いと真実とをもって愛し合おうではないか。 

 本当に子供はこれを素直に実行に移すことが出来ますね。何気ないしぐさ、わずかなことの中に、 その子のやさしい愛というものが見られるわけですね。やさしい愛の子供、これが神の子供だということで、 言葉や口先だけではない、行いと真実な愛をわずかなことの中にも示せる、 そういう子供の姿から私たちは学ぶべきものがあると信じます。

そこで私たちはもう一度この幼な子の心を 皆さんも取り戻していただきたいと思います。
幼い時には、確かに純粋だった。幼い時には、 本当に素直に信じることが出来た。
でも、大人になるにつれて、いつも欲得で考え、利害関係を考えて、 止めておこう。
そういう理屈で考える世界に入って来ましたけれども、もう一度、神の国という所は、 そうではなくて、幼な子のように、そのまま、ありのまま、あなたが本当に、 心の願いのままに生きられる世界、愛が満ちている世界、それをイエス様は願って いらっしゃるということを、皆さんもう一度振り返っていただいて、この清らかな愛というものを、 もっと追い求めていただきたいと、そう願います。今日、皆さんの内に、 幼な子の心がもう一度回復しますように。

それがあなたの人間性をもう一度取り戻すことであると信じます。 

0 件のコメント:

コメントを投稿