2004年12月1日水曜日

闇から光に


12月の礼拝メッセージより

メッセンジャー:久松 政一 牧師

       (クライストチャーチ主任長老)


ヨハネによる福音書1章1~5節
「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は初めに神と共にあった。 全てのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、 闇はこれに勝たなかった。」 

 この言葉とは、神様の言葉です。そしてこの言葉には命があった。
この命とはギリシャ語で、 「ゾーエ」という言葉で、死なない命、永遠の命という意味です。私達の命ではありません。 神の命という意味です。

そう、言葉は神様の命だった。そしてこの命は光であったと書かれています様に 神様は光りなるお方です。明確にこのお言葉は、神様が言葉であった。その言葉に命があった。 
ですからイエス様が、「生きよ!」と言われたら、死人がよみがえった。イエス様の言葉には命があるのです。 聖書の言葉には命があるわけです。そしてその命は人のための光だった。
ですからこの光が 神様であるということを、私達はこれを通して知ることができます。
 そして9節~10節を見てみましょう。 

 ヨハネによる福音書1章9~10節
「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。 そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。」 

 この、“世”というところは、“この世”という意味です。彼というのが光であるイエス様です。 光は暗やみを照らし出します。イエスキリストは光として世に来た。そして、世は光によって 出来たのであるけれども、世は光を知らずにいた。本当に真っ暗やみだったからです。
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 そしてその次の御言葉を見ましょう。
 
 ヨハネによる福音書12節~13節
「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 それらの人は、血筋によらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。」 

 イエス様という光を受け入れた者は、神様の子となるということを、聖書は告げています。 ですからこの光というものが、イエス様であるということが、この ヨハネによる福音書の1章を読めば、はっきりとしています。

そして、 イエス様が来られてから約2000年経っていますけれども、この世は暗やみです。 今も真っ暗です。やみです。なぜならこの世の支配者は悪魔ですから。そして、悪魔のことを聖書は やみの世の主権者と言っています。やみの世です。ですから私達はこの光がなかったら、 絶対に生きることが出来ないのです。光がある時に暗やみはすみやかに消えて行きます。 光がなかったら、それは闇ですから、暗やみの世界、それが今のこの世です。
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私達はこの世の中が何かあでやかな、美しい、きらびやかな、そんな文明文化が発達してきたら、 何か素晴らしい快適な生活が出来てきたら、本当に素晴らしい世界でもあるかのように、 私達クリスチャンでも錯覚しがちですけれども、覚えておいて下さい、この世は闇です。 暗やみです。何の良いものも、この世には無いのです。

イエス様は、暗やみの中に、 光として来られたのです。
そして私達の内にあるこの暗やみ。ある人にとっては、劣等感かも知れない。 人よりも劣っている部分があったら、皆から見下げられたような、冷たい目で見られるじゃないですか、 この世の中は。本当にあんな人と一緒に私はいたくない。あんな人のそばに行きたくもない。 

イエス様は、真っ暗な世で苦しんでいる、全ての人々に対して、 “愛しているよ!”という光を持って来て下さった。 どんな暗やみがその人の中にあっても、光がやって来た時に、その暗やみは消えるのです。 
皆この暗やみを取りたいのですよ。でも光が来なかったら取れない。自分で暗やみはどうする事も出来ない。 真っ暗なやみの世の中にいることを、本当に想像したなら、どんなに怖いことか。 どんなにひどいその世界か。うわべだけなのですこの世界は。

だからこの世という言葉は、 「コスモス」という言葉が使われています。この意味は、 あでやかな、偽りの、そういう世という意味です。ですからものすごくきらびやかに、 すごいビルが出来た。又、モール街が出来た、さっそうときれいな服着て、素晴らしい、こういうのが楽しい。 でも心はやみなのです。心は何にも変わってないのですよ。

私たちを祝福して下さるのは、 イエスという光だけなのです。今私達は、このお方を内にいただいている者として、本当にこの世の中の人に、 イエスこそ世の光、イエスこそ本当にあなたの暗やみを取って下さる方ですよ、 ということを私達クリスチャンが伝えるべき時なのです。
 
 クリスマスにはあらゆる種類のものが出ていますけれども、全部イエス様が本物なのですよ。
 イエス様を抜いたクリスマスはないのです。
そしてイエス様が、明確に答えていらっしゃる御言葉、
  ヨハネによる福音書8章12節でイエス様は、 また人々に語ってこう言われた、
「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、 命の光をもつであろう。」 

ここには言葉なる神様と、命なる神様と、光なる神様が書かれています。
イエス様は、また人々に語って こう言われた。イエス様は言葉なる神様としてこの地上に来て下さいました。そしてイエス様が語られた 言葉がこの聖書のお言葉です。これが命の言葉なのです。そしてこれが真の光なのです。

イエスは、 私は世の光であると言われました。多くの人達は間違っているのです。私はあなた方に光を教えてあげよう、 という人達はたくさんいます。それが宗教です。彼らは光ではありません。光を教えてあげよう、 という人達だけです。
でもイエス様は、私は光を教えてあげようと言われたのではない。 私が光であると言われた。彼自身が私達の光なのです。実体なのです、本物なのです。 にせものじゃないのです。

だからあなたがイエス様を信じているということ、この光を持っているという事が、 いかに素晴らしいことかということについて、私達は今日本当にもう一度知りたいです。
 
 あなたの周りの人達は皆、暗やみの中に生きているのです。クリスチャンは本物を持っているのです。 本当の光が私達の内に生きておられるのです。そしてこの光を私達は紹介するのです。クリスチャンは、 イエス御自身を人々に紹介するのです。

クリスチャンは、この素晴らしい方が、私の内におられるので、 多くの人々にもこの光を表わしたい、お伝えしたいと願うのです。イエス様はあなたがこの光を 輝かせるために救って下さったのです。
真っ暗な世の中で、この光を見せてあげたら、 いかなる問題を持っている人でも輝くのです。ハレルヤ!イエス様が来て下さったのです。 イエス様という光が来て下さったのです。そしてこのお方を紹介するのが私達です。 私達こそ本物である事を信じて、この福音を伝えて行こうではありませんか。
年を迎えられないで 自殺する人がいっぱいいます。暗やみの中です。皆、絶望感と失望感でいっぱいです。 
私達の望みは永遠の命です。あなたを救って下さったのは、神があなたを愛して下さっているからだけじゃない、 あなたを通して多くの暗やみの中で沈んでいる人々に光を与えるためです。
 
「神は私達をやみの力から救い出して、愛する御子の支配下に移して下さった。」
(コロサイ人への手紙1章13節)

光の中に移して下さったのですよ。私達はいつ死んでも神様の国へ行けるし、 今もイエスと共に生きているのです。この光をお伝えしようではありませんか。






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