2005年1月2日日曜日

トータル・プランナー

1月主日礼拝より


メッセンジャー:久松政一牧師(クライストチャーチ主任長老)



真のトータル・プランナーとは、天と地をお創りになった神様です。

神は全てを計画なさって、私達が罪を犯した後も、どのように回復して行くか、そしてその時代時代に、 神がどのような事を行われて行くか、どのような人々に命を与えて行くか、そしてその人々の中から、どの人々を救い出すか、 全部ご計画していらっしゃるお方です。
そして最後に、ご自分のご計画を完了なさるお方です。

私達はその神様のご計画という、 壮大なプログラムの中で、今この2005年を迎えているわけであります。
私達にはとうてい思いも及ばない様なご計画でありますが、 その一端を私達が荷わせていただいているという事を思えば、何と幸いなことでしょうか。

神のご計画は非常に緻密で、 明確で、確実なものではありますけれども、人間の理解を超えています。しかし私達にとって、結論が出ているということは、 本当に幸いなことだと思います。先が見えないということ、これ程悲しい事、苦しい事はありません。 しかし神のご計画は聖書に告げられています。そして最後に完了される所の全てを、お書き下さっているので、 安心してその方向に向かって、進ませていただけるという幸いがあります。

人間にとって一番辛い事は、先が見えないことです。 明日がわからない、それ程悲しいことはありません。私達には明確な答えがあります。神のその目的と、最後になさる結果は、 はっきりしています。人間をお創りになった神は、私達罪と呪いの中にある人々をもう一度回復して下さり、 イエス様を信じる人々を、神の国に導いて下さる、そして、新しい天と地を用意して下さって、私達信じる者がそこに住むようにと、 最終的にして下さいます。これが神様の答えです。 

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石油がもうじき無くなる、この世界を思ったら辛くてたまらない、少子化問題、100年後が見えない、 そういう中で私達は生きています。ゴミ問題、どれだけそういうものにお金を使っているか、CO2削減化、 中国は益々先進国になるために、石油をどんどん使います。無くなる時は来るのです。

 神様は、私達のこの地上を回復しようとおっしゃっていない、新しい天と地を、イエス・キリストを信じる者のために用意して下さっている、 そして私達はそこに向かっての旅をしている者だということがわかりますならば、何と私達は心強いでしょうか。 まさに私達の主はトータル・プランナーです。そしてそれを確実に成就して下さるのであります。

本当に暗い事、 悲しい事ばかりが、この一年ありました。災い転じて福となる。来年こそは、で終わってしまう。そして、 悲しい生涯で終わってしまいかねない。しかし私達の神は、正しいご計画を持って下さって、 私達を確実に導いて下さっていることを感謝します。私達はそれを良く理解したいと思うのですね。 

●マタイによる福音書20章17~19節
 さて、イエスはエルサレムへ上るとき、十二弟子をひそかに呼びよせ、その途中で彼らに言われた、 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。 彼らは彼に死刑を宣告し、そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。 そして彼は三日目によみがえるであろう」。
 

イエス様はもうそろそろご自分が十字架に架かって死ぬということを、弟子達に教え始められていた。その日が近くなった。 そのためにイエス様はいらっしゃった。しかし、神様だからその計画のままに実行出来る、と思わないで下さい。 イエス様もまったく、ゼロからの、赤子の肉体からのスタートでした。
肉を持つということは、ものすごい制限があるわけです。 肉体を持たれて痛い目、苦しい目に合われても、神はその計画を、ものすごく強い意志で実行なさいました。 ここにイエス様の愛があるわけですね。 

 ここでまずイエス様は、エルサレムにそろそろ上って行かれる時、十二人の弟子をひそかに呼び寄せられて言われた。 主は、彼らだけに語られました。エルサレムに上るということを言われました。そのことは、 十二人の弟子達には受け入れられないことでした。エルサレムに行くという事は、イエスを殺そうとしている律法学者、 パリサイ人らに、絶好の機会を与えることになるからです。しかしイエス様は、祭司長や律法学者達に、捕えられる、 そのことを、預言なさいました。彼らにより死刑を宣告される、ユダヤの法律では、神であるという者は、死刑でした。 イエス・キリストは、神であると自称したために、十字架に付けられました。

しかしイエスは、 死んで三日後によみがえることも全部弟子達に、語られていました。イエス様はトータル・プランナーですから、 イエス様の歩みを弟子達は聞いたのです。 

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●マタイによる福音書20章20~28節
 そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。 そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、 ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。イエスは答えて言われた、 「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。 彼らは「できます」と答えた。イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。 しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、 わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。十人の者はこれを聞いて、 このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、 異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。 あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、 仕えられるためではなく仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、 ちょうど同じである」。


人のために生きる、私が全人類のために、これから十字架に架かるが、それは私がお前達に仕えたというあかしだ。 それゆえに私の目的は、お前達も人に仕える生き方をせよ、ということをお教えになるためにこの事が起こりました。 だから主の御心は、十二人の弟子が最後まで主に仕えて、そして人々にこの良い知らせを宣べ伝えて行き、 ローマのあの迫害の時代にあって、彼らは最後には立派な神の御心、 すなわちトータル・プランナーである神様のその計画を実行して行く者となったのです。
私達もそういう教会になりたい。
あなたはそのために、何時でも何が大切なのか、何が中心なのかということを良くわかって、 あらゆる出来事を行って行くという目を養っていただきたい。私は今日、本当にこのことをお願いしたい。 この領域と言うのは、本当にむずかしいことです。全体に目を向けるということですからね。全ての計画を、 本当に良く知っておいて、そして今その事を行って行く、これは本当にむずかしいことなのですけれども、 あなたにその領域がぜんぜん無くても、それが1上がれば、あなたの歩みはものすごく上がるのです、2上がれば、 それはもう奇跡的な変革になるのです。このことがわかってくれば、あなたの人生は、 イエス様の本当に願われるような人生に成って行きます。それがすなわちあなたの祝福となります。

私達一人一人が、 神様に教えられた事、神のヴィジョンがどんなふうに緻密に日々動いているのか、その中に自分も加えられ、 自分もその働きの一端を荷っているのかどうか。ちゃんとその目的、目標をしっかりと握って、自分が出来る事を行って行くなら、 この教会はおのずと発展して行くに違いありません。
私達クリスチャンは与えることが祝福です。イエス様と同じ様に。 この生き方を私達はして行くのです。
イエス様を中心とする人生を歩むなら本当に祝福された者となります。

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