2011年10月9日日曜日

次の山に登る備えの時

2011年10月9日(日) 礼拝メッセージより

メッセンジャー:ダビデ・J・カップ師
         (ブリッジング・ザ・ギャップ使徒的創始者)


この滞在の時について、神様は私に語られました。
「ヴァケーションの時ではなく、日本の兄弟姉妹に対するチャレンジを持って来る時だ。」
と、預言的に今朝聞きました。私たちの前にチャレンジが置かれています。そこに留まり、次の山に到着するまでです。

代表の教理という山に到着するまで。私たちは最後の成熟を追跡するという山を、ちょうど今登り終えた所です。今私たちはその間にいます。

そして今私たちは、本当に注意深くならなければならない状態です。私たちが怠惰になる時間ではない。もう休もうという時間ではない。自由時間だというふうに感じる時間ではない。この二つの各山を登るうえで、神の目的をやり続ける、ということの時間にいます。世界中でコングレスの全ての方々が、同じように考えています。

今は前進する時です。皆さん私たちが生きている時を理解して下さい。時を私たちは知らなくてはならない。イッサカルの子たちのように。彼らは時を知り、その時には何をするべきかを知っていた。今日神が探しておられる人々は、その様な人々です。




今この時は、非常に特別な時です。私たちが完成へと向う、整えのために前進するにおいて、
神の時間のスケジュールの中での、正しい時に私たちがいるからです。預言者イザヤが言いました。

「闇の中において、起きなさい。」と、言いました。
そして人々があなたの所に来る。王たちが来る。国々が来る。シオンの山に向い。そして彼らは何と言いますか?そして彼らは、
「あなたの道を私たちに教えて下さい。」
と、言うのです。

ほとんどの教会はそれを理解していない。けれども私たちはそれを理解しています。私たちはそれを知っている。ですから私たちは起きなければならない。私たちの目は大きく開かれて、私たちの肩は奮わされて、上に上がっていく、神の恵みを引きおろし、いつくしみを、力を得るために、完成へと動くためのものです、それは。

神の言葉を語るため、光を放つため。


エレミヤ書8章7節
「空のこうのとりでもその時を知り、山ばとと、つばめと、つるはその来る時を守る。しかしわが民は主のおきてを知らない。」

 知らないと、そう書いていますね。
このおきてという言葉は、危機感を持つということを、彼らは知らない、という言葉がへブル語では使われています。イエス様がエルサレムに、ロバに乗って入場された時、人々に言われました。

イエス様は泣いておられました。あなたがたは生きている時を理解していないと。ですから皆様は本当に負けると、エルサレムの人々に言いました。あなたたちは神様の計画を見逃してしまうだろうと、エルサレムに言いました。ですから私たちは、この鳥たちのようにならなくてはならない。空を飛ぶ鴨のように、彼らは自動的に渡って行く、彼らはその時だと分かっているので。今動く時だと分かっているので、そうしなければ彼らは食物が絶えて、寒くなって、ですから彼らは渡って行く。

私たちの思考回路の中に、それを私たちは持たなければならない。私たちが生きている時を理解しなければならない。


ホセア書4章6節
「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない。」


 私の祭司となるということは、どういうことでしょうか。次の私たちが代表の教理の山を登って行くに当たり、私たちは自分自身を地球規模の祭司として現そうと準備しているのです。キリストの体全体を代表する代理の者として表そうとしている準備です。

けれどももし私たちが知識と悟りについて欠けているならば、私たちは祭司になる資格がない。ですから私たちは何が起こっているのかを知らなければいけない。何をするべきかを知らなければならない。

ホセア書6章1~3節
「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される。」


 これは私たちのチャレンジです。
私たちは二つ目の山を登るまでに、二つの山の間で留まっている時に私たちが持つチャレンジです。お互いに私たちは言う必要があります。
「私たちは知ろう!理解しよう!時を近く認識しよう!前進しよう!」
知るために。主を知ることを切に願い求めよう!
彼は暁の光のように現われる。彼は雨のように私たちに訪れてくださる。

今読んだことは私たちが内側から外側へと包まれなければならないものです。私たちが今この時を知っている、子供たちも彼らが生きている時代を知っているということは重要です。非常に重要です。なぜなら主の訪れを、私たちが見逃してしまうからです。イエス様がエルサレムに言われたことはそれです。ですから彼は泣いておられました。


 ハバククについて、テキストに戻って見ていきましょう。預言者ハバククが立っていた立ち位置に移動する。ハバクク書は、前の運動について現しています。私たちはハバクク書を読んで、これについてのDVDを聞きました。

ハバクク書に書かれている、ハバククが見たものは、私たちが日々の生活の中で私たちが見るものです。ハバククが何を見たか、そして何をしたかを私たちが知ることは、非常に本質的なことです。ハバククの生きていた時代の状況と、私たちが生きている時代の状況は同じです。暴力があり、不正があり、もろもろの諸悪が行われていた。けれども私たちが覚えておかなければならないのは、どのようにしてハバククが聞いて、従ったか。ですから私たちもそれと同じになるために。

聞いて下さい、ハバククは将来に関する預言的言葉を表しています。
将来に起こる活動。彼が生きていた時代に起こっていることだけを指し示しているのではなく、将来霊的な活動が起こることを指し示しています。私たちの時代のことです。神様から見せられ、聞いたハバククが持ったヴィジョンは、将来の事を語っているヴィジョンです。


ハバクク書1章2~5節
5節をもう一度見て下さい。
「諸国民のうちを望み見て、驚け、そして怪しめ。わたしはあなたがたの日に一つの事をする。」

ハバククが見たものに対して、ハバククが神様にした質問に、神様は答えられませんでした。
それは誠に起こっている事だと神様は知っていました。それは本当に大変な時代だと知っていました。

神はバビロン人が、彼らの手に入れられるもの全てを略奪して持っていたことを神様は知っていました。不正がどこにでもある。神様に対して注意を払う者は誰もいなかった。
ハバククは、「私が呼ぶ時、なぜ答えられないのですか?」と、言いました。神様が言った、たった一つのことは、「国々を見なさい。」そう書いていますね。「私は国々の中で、何かを行っている。」と、言われています。
「国々を見なさい、そして驚きなさい。私が行おうとしていることについて、驚きなさい。
あなたの時代に私は一つのことをするが、あなたはそれを信じないだろう。」


この時というのは、へブル語では、複数形です。それは私たちが持っている24時間の1日のことをさしていません。それはへブル語では、闇の中にある光の一区画をさしています。ハバククの時から、そして今の時代までずっとです。日本語ではあなたの日と書いているのは、複数とは読み取れませんよね。でも英語では、複数で書いてあるのです。

今朝、確かめるために、へブル語をもう一度見直したら、あなたの日というのは、神のカレンダーの中にある、光の中にある、一区画、一部分という意味です。その特別な時のスパン、その期間に神様が超自然的な事をされている。神様は何をされていますか?イエス様が「私は私の教会を建てる。」と、言われたことをされています。

彼は建てておられます。人々を引き寄せておられる。人々の心の中を変えておられる。
生ける神の言葉を語っておられる。もろもろの霊的な活動が、ハバククの時代から今日まで、ずっと続いています。


ハバクク書2章2~3節では、
「主はわたしに答えて言われた、『この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、
走りながらも、これを読みうるようにせよ。この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。』


この二つの箇所は、神が今日なされておられる事に対する、非常に重要な鍵です。

2章1節
 「わたしはわたしの見張所に立ち、物見やぐらに身を置き、望み見て、彼がわたしになんと語られるかを見、またわたしの訴えについてわたし自らなんと答えたらよかろうかを見よう。」

 これは私たちが持つ、同じハバククの姿勢ですね。この場所に私たちは立つべきです。
私たちが持つべき態度はこれです。私たちは石垣に立ち、石垣が指しているのは、私が立っている場所を指しています。

 私の霊的活動の事です。神様が私に与えられ、それに対して責任がある物事についてです。皆様一人一人が立つべき立ち位置があります。それは個人的な立ち位置ですけれども、それはキリストの体として一致するものです。だれかは祈っているかも知れない。誰かは証をしている。誰かは預言をしている。誰かは一生懸命働いて、神の国が前進するための捧げ物をしているかも知れない。もろもろの色んな活動があります。

2節
 主はわたしに答えて言われた、「この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、走りながらも、これを読みうるようにせよ。」

私たちは走らなければならない。その幻は、神のこの神聖な言葉は、今日もまだ生きています。



 そしてノアとヨブは、ハバククが生まれる前に、既にこの幻を、超自然的に受け取っていました。荒廃した時代の真中にあって、神を求めない時代、不義に満ちた人々、神様はサタンに、ヨブのことをこう言いました。

「地上において、ヨブの様な者は一人もいない。」

皆様それを理解されますか。これは実際に起こったのです。

同じ理解、同じ啓示がハバククを打ち、同じヴィジョンをハバククが持ったのです。そしてその幻を、将来未来のために書き記せとハバククが言いました。まだ来ていない時のために。ですから私たちは時を知らなければならない。季節を知らなければならないのはその理由です。私たちはそれを注意している必要がある。私たちの立ち位置に立たなければならない。神が私たちにチャレンジされていることをするために、走る事ができなければならない。それをヨブはやったのです。

 ノアがしたのは正にそれです。同じことです。荒廃した時代で、人々が持つどの思いも悪かった。
良い事は一つも行えなかった。神がそれを言われています。

神は言いました、「私は人を創造したことを悔いる。」と、神様は悔いられたのです。

神様に思いを払う者など誰もいなかったのです。一人を除いては。この全世代の中で、ヨブは主の恵みを得た。ハバククも同じことを感じたのです。それによって彼は動かされ続けた。 彼の時代において、これは力強いものです。これは私を強めます。私の兄弟であるヨブが、全部を失い、イエス様のために全てを失った。使徒パウロもそれと同じように。私は全部の物を失ったがキリストを知ることのゆえに。

ヨブを皆さん見て下さい。全てを失いました。彼は神に仕えたゆえに、神様を愛したゆえに。



 皆様私に聞いて下さい、神様は真剣ですよ。世代世代、神様を求める必要があり、前進する必要がある。ヨブのように、ヨブがどんな人だったかを皆さんにお見せしたい。神様が見出されたのは、どの様な人であったかを見ていきましょう。

ヨブ記1章1節
「ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。」


 驚くべきことです。ウズの地に一人の人がいた。ヨブという人です。彼は正しく、へブル語では、均一に完全であったと。彼は非難を受けることなく、彼はいつも正しい事を行ったという意味です。神を恐れ、神を敬ったのです。神を尊敬したのです。神を恐れてさがったのでなく、神を恐れて敬意を持ったのです。悪から遠ざかったのです。ハバククもその様な人でした。幻を書きました。

それは終りの時において語られる幻です。ハバククが見た語る幻を、聞く能力を持っている終りの時の人々に対する幻です。聖霊様が言っています、この幻は嘘をつかない。それは預言的な語るヴィジョンです。それは語ります。それを神様が今日神の民に語っておられます。終りの時に、自分たちを整える人々に対して語っています。それはヨブの様な人々です。正しい、義である。ヨブの中に見出される全ての資質について、このリストに書き記しています、この聖書の中に。

神様はヨブの様な者は、この地上において一人しかいないと言いました。神様が喜ばれた者です。ヨブは信仰があった、知識があった。自制があった、神の性質があった、神を恐れていた。忍耐があった。親切心があった、愛があった、礼拝があった、誠実さがあった。正しかった、そして彼は良い父であった。ヨブはその様な人でした。

 そして2章では、彼が本当に病に伏しているのを見ますよね。
2章の12節、13節には彼の友人たちが訪問したことを書いています。彼らは遠くからヨブを見て、
ヨブのあまりにもの姿の変わりように、ヨブと認める事ができなかったので、手を挙げて彼を呼び、
彼らの衣を裂いたと書いてあります。13節を見て下さい。本当にショックを受ける様な事です。彼らは7日7夜座り、彼の本当にひどい災い、病を見て、誰も一言も発しなかった。7日7夜、驚くべき事です。神様が起こしていることです。神様がヨブに働きかけておられて、ヨブは一人ではありませんでした。







 ハバククは終わりの時代に起こって来る活動、出来事を指し示しました。神様がこう言われました。もしノアの時代、人生を見るならば、私たちのその終りの時代は同じ様なものであると言われました。

聖書が言っています、へブル書11章では、ノアのことについて語っています。へブル書を読んでいきましょう。信仰により、ノアが何をしたかを見て下さい。

へブル人への手紙11章7節「信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて」

まだ見え得ないものについて彼は注意を払ったのです。

「御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。」

 まだ見られない神の事柄について、神から受けて、信仰によって動いたのです。
そして箱舟を立てた。なぜなら彼は義であったから、彼は神を愛していたから、彼は神と共に歩いたのです。荒廃した時代の中での唯一の基準、唯一の活動です。神様は私たちにそのようになって欲しい。神を現す者たちです。清く、義であり、正しい。あなたが一人であっても関係ない。ノアはたった一人でした。箱舟を立て、120年間それを建てるのにかかりました。120年間の間彼は神のことを語り続けたが、誰も救われなかった。誰もノアのメッセージを聞かなかった。


 コングレスのテキストブックを見るならば、ノアの持っていた態度、私たちに適応させるべき態度が書かれています。この悪い時代のための。これは子供たちのためのものです。高校生のためのものです。大学生のためのものです。

 神様は物事を今日なされておられます。神様は今日語られています。神様に皆さんが近付いて欲しいと神様は願っておられます。95ヶ国のコングレスの国々の教会の方々と一緒に、次の山を登るまでのこの短い間に、神様に近付いて下さい。怠け者にはなれませんよ。私たちは後ろにさがることはできません。私たちは信仰を捨てることはできない。へブル書に書かれています。信仰に満ちているか、信仰を捨てるか、そして滅ぼされるかのどちらかしかありません。

皆様は前進しておられることを私は知っています。皆様が神に近付いておられることを私は知っています。世界中のコングレスの他の教会たちと一緒にです。素晴らしい時です。今までの中で一番ベストの日です。イエス様がガリラヤ湖の岸辺を歩かれた時よりも素晴らしい日です。

なぜなら神の国が現され、拡大されているから。皆様一人一人によってです。


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